「光る社会的視点と弱い主人公像のギャップ」山田剛志(映画チャンネル編集長)|映画『キャンドルスティック』マルチレビュー
公開中の話題作を4人の評者が“忖度なし”で採点する新企画「映画チャンネル」マルチレビューがスタート! 記念すべき第1回は、日本と台湾の共同制作による阿部寛主演作『キャンドルスティック』を徹底レビュー。果たしてその評価は? 点数とあわせて、本作の魅力と課題を多角的に掘り下げる。※評価は5点満点とする。(文・編集部)
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光る社会的視点と弱い主人公像のギャップ
山田剛志(映画チャンネル編集長)
【採点評価】1点
商品紹介ページによると、原作は「FXを通して幸せを掴む、読者体験型サクセス・ストーリー」らしいが、著者がエグゼクティブプロデューサーを務めるこの映画では、FXのセミナーに通う杏子(菜々緒)も、彼女をサポートする野原(阿部寛)も、なぜFXに拘泥するのか、最後までよくわからない。両者ともに自由を希求しているらしいことは随所で説明されるが、自由を得るための手段がなぜFXなのか。2人の欲望が判然としないため、多大なリスクを負って一大勝負に出る姿に共感の眼差しを注ぐのは難しい。
一方、周辺人物には一定の説得力がある。グローバル資本主義のもと、貧困を余儀なくされている“持たざる者”にとって、FXは強かに生きていくための武器に他ならない、というメッセージも本作は発しているようであり、その点、南アジアの地で法の網目をかいくぐり、コンピュータスキルを駆使して、金融システムを“ハック”することでサバイブしているイラン人青年(マフティ・ホセイン・シルディ)が、日本の児童養護施設で暮らす幼い妹にオンラインでF Xのノウハウをレクチャーするシーンには、紛れもなく切実さがあった。
しかしながら、社会的弱者がサバイブするための武器としてFXを描くのはいいのだが、その名目で、一般倫理から逸脱した行為──たとえばフェイクニュースの拡散──が正当化されている節があり、物語内でその是非についての掘り下げやフォローが一切ないことも気になった。
【了】