「戦争の最大の罪はあらゆる可能性が奪われること」映画『この世界の片隅に』が今、再上映される意義。片渕須直監督インタビュー
第二次世界大戦下の呉を舞台に「すずさん」の日常を描いた劇場アニメ『この世界の片隅に』。世界60か国以上の国と地域で上映された本作が、8月1日から9年ぶりに全国88箇所の劇場で再上映される。そこで今回は、監督の片渕須直氏にインタビューを敢行。再上映に向けた気持ちと、現在の世界で上映することの意義について語ってもらった。(取材・文:司馬宙)
戦後80年、改めて戦争を考える機会に
―――再上映にあたってのお気持ちをお聞かせください。
「まず感じるのは、戦後80年という時間の長さですね。戦後80年ということは、終戦当時20歳のすずさんも今や100歳というわけで。それだけの時間が経ったんだなあという実感とともに、薄れゆくものを繋ぎ止めたいという思いがあります。
それから、今回の再上映を通して、世界中の方々に、『戦時に生きる』ことの意味を捉え直していただければと思っています。というのも、この映画を企画したのは2010年なんですが、当時と比べると国内外の様相がまるで変わってしまっている」
―――本当にそうですね。
「はい。以前、アメリカの大学のアニメーション学科でこの作品を上映した時に、イラン出身の学生から、『子どもの頃に体験した戦争に似ている』と言われました。われわれのように『おじいさんおばあさんが』ではないんですね。面と向かってそういわれて深く受け止めました。そうした彼もイランに帰っているはずで、ミサイルが落ちてくる下にいるのかもしれない。知っている人もそこにいるのだと思うと、空襲の下にいる人たちにより多くの共感を抱かなくてはならない」
のんが持つ「イノセントな声」
―――『この世界の片隅に』といえば、やはりすずさん役ののんさんの演技が忘れられません。改めて、のんさんを起用した理由を教えてください。
「実は、『この世界の片隅に』の制作の一番最初に突き当たったのは、すずさんの右手の独白をどうしようか、ということでした。前作『マイマイ新子と千年の魔法』(2009)で主題歌を担当されたコトリンゴさんの歌でそれを表現したらどうだろう、と思ったんです。
最終的には、こうの史代さんの原作にあるモノローグをもとに作詞をお願いした『みぎてのうた』という形になります」
―――物語の終盤で流れる曲ですね。
「はい。この曲は、すずさんではなく、すずさんの失われた『右手』が語り部になっています。
で、2010年に考えついたコトリンゴさんの声が『右手の声』というところから、じゃあ、すずさん本人はどんな声なんだろうと逆算するうちに、のんちゃんの声につながっていったんです」
―――のんさんの声の良さはどのようなところにあると思いますか。
「イノセントなところですね。すずさんって、英語だと『Daydreamer(夢想家)』と訳されることが多いですが、実は単にぼーっとしている人だと思うんです。夢想することも含めてすべての欲望に蓋をしてしまっていて、表面的には空虚なんです。
でも、そんな彼女も、右手を失ってから本性を取り戻し、自分の言葉を語り出す。その言葉ものんちゃんの声で聴きたいという思いがありました」
「あり得たかもしれない可能性」を描くこと
―――身体の一部がなくなってはじめて自分の言葉が出てくるというのは、なんとも皮肉ですよね。
「そうですね。基本的に僕は、戦争の最大の罪は、個人のあらゆる可能性を奪っていくところにあると思っています。
すずさんの場合、絵を描くことだった。あるいは、家事をすることで婚家を居場所にさせてもらうことだった。でも、右手を奪われたことによってそれらの可能性は失われてしまったわけですよね。
未来への希望だけでなく、ただそこに存在しているということも含めて、普通の生活の中でなら抱けたはずの可能性。そういったものをいとも簡単に奪ってしまうのが、戦争というものの『罪悪』だと思います」
―――制作にあたっては、戦時中の呉の町を綿密にリサーチし、当時の住民や建物に至るまで、徹底的に調査したとうかがいました。こういった作業も、戦争で奪われたかもしれない無数の可能性を浮かび上がらせるための手段だったのでしょうか。
「そうしていけば、映画の中だけの閉じた世界ではなく、現実そのものに対して『オープン』になっていけるかもしれない。『画面では見切れてるけど、あの隣の何軒先は誰々さんの家があるんだよ』みたいに。空間的にも、そして過去にも未来にもつながってゆく。先程のイラン人の学生だとか、画面の中に映されていないすべての人々の可能性にまで思いを巡らせることができるのでは、と考えています。全部つながった世界ですから」
―――さまざまなヒトやモノを同じ時空で描けるというのは、アニメーションならではかもしれませんね。
「戦時下に生きる人々の次元と蝶や虫が生きる自然の次元、そして、戦艦大和やB-29といった戦争の次元と、異なる次元を地続きに描くことをかなり意識していました。異なる世界をひとつながりに描けるのは、アニメーションの持つ力だと思っています」
戦時下の「なんでもない日常」
―――リサーチには、通常のアニメ制作の倍に当たる7年もの歳月を費やしたと伺いました。片渕監督をそこまで突き動かしたのはどのような思いだったのでしょうか。
「わからなかったことは調べ続けましたが、主なリサーチには2年もかけていません。戦時中の人々の気持ちを理解したかったというのがその主なる部分です。
『マイマイ新子と千年の魔法』は、戦後の昭和30年代が舞台なんですが、制作していくうちに街や人の風景が戦前の昭和10年代とあまり変わらないことに気づいたんです。
で、街はほとんど変わらないのになぜ戦時中だけ人々の気持ちや着る物が変わってしまったのかを捉え直したくて、リサーチを深めました」
―――戦争の前後で何が変わったんでしょうか。
「結論から言えば、何も変わっていませんでした。
例えば、戦時中の女性って、みんなモンペ(袴のかたちをした作業着)を履いているイメージがありますよね。でも、実は、戦争がかなり進むまでは、一般の女性はモンペに見向きもしなかった」
―――え、そうなんですか?
「盛んに着用奨励のプロパガンダが繰り返されています。でも、履かなかった。恰好が悪いからです。そこで、戦前戦後と戦中がつながった気がしました。モンペ履きは、戦争が進むんで物資がなくなって燃料がなくなり、暖を取るために履かざるを得なくなったからだったんです」
―――それは興味深いですね。
「以前『あちこちのすずさん』(NHK総合、2020~2022)というテレビ番組で、戦時中の日常生活のエピソードを集めたんですが、本当に色々なものがありました。
例えば第二次世界大戦中って『パーマネントはやめましょう』というスローガンが喧伝されてパーマの禁止運動が起こったイメージありますよね。でもパーマって実は戦時中に全国に広まったんです」
―――それは知りませんでした。
「疎開した都会の女性が地方に持ち込んだらしいんです。つまり、戦時中でも彼女たちは身だしなみに気を遣っていた。彼女たちの意識は、戦争前となんら変わりなかったんです」
戦争が消し去った「かけがえのない日常」
―――戦争ドラマや戦争映画の場合、どうしても悲惨な出来事の描写が多くなってしまうわけですが、その間には今の僕たちと変わらない日常があったわけですね。
「ただ一方で、なかなか思い出されなくなってしまっている出来事もあります。
太平洋戦争の終戦を告げる玉音放送って、正午から放送されているんですよ。ということは、聞いていた人は放送の前後に昼食をとっていたはずなんです」
―――言われてみると確かに…!
「でも、玉音放送に関して記憶されていることって、『声が聞き取りづらかった』『負けて悔しかった』とか、そういった言葉はいくらでも出てくるんですが、昼食をどうしたかという日常的な部分は忘れられてしまっているようでした。
空襲や原爆、終戦といった非日常に対して、日常というのは記憶されにくい。でも、それこそが、戦争が破壊したそのものだったはずです。そして、そうした日常の延長上に、今の僕たちの毎日があるはずなのに」
―――戦時下の人々の日常と私たちの日常は、実は地続きになっているということですね。
「今までの戦争映画ってどちらかというと空襲や爆撃といった歴史に残るような出来事を描いてきたものが多かったですよね。
でも、そうした特別な出来事の合間には、僕たちの日常と変わらない毎日があった。たとえ記憶に残らなくても、日常はたしかに、そしてすごく大きな時の分量として確かにそこにあった」
「すずさん」たちを忘れない
―――最後に、世界中にいる「すずさん」たちにメッセージがありましたらお願いいたします。
「あの…、この問いは本当に重くて、戦争であらゆる可能性が奪われている人たちがいることを知りつつ、軽々しく言えるものではないと思っています。
ただ、僕たちにできることは、彼ら、彼女らの姿を、できる限り忘れないこと。ガザで子どもの亡骸を抱くお父さんのように。ニュースやSNSでたまたま目に飛び込んできた姿だとしても、そこにいる人のことを覚えていること。
あり得たかもしれない可能性を記憶に留めておくことこそ、僕たちがすべきことの最初のことなのではないかと思います」
―――ありがとうございました。
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