失われた記憶はなぜ甦ったのか? 映画『よみがえる声』が刻む戦争と差別の記録。ベルリン・釜山映画祭受賞作を解説レビュー
太平洋戦争終戦から80年。経験者の多くがこの世を去る中、歴史の闇に埋もれきた「声」があったー。今回は、脚本家でもあるライターが、在日朝鮮人2世の映画作家、朴壽南(パク・スナム)と娘の朴麻衣(パク・マイ)によるドキュメンタリー『よみがえる声』を解説。歴史の狭間で生きた在日朝鮮人たちの「真実」を徹底分析する。(文・青葉薫)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】
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歴史の中に埋もれた声なき物語
母親が撮り溜めていた16mmフィルムやカセットテープを娘が復元していく。
歴史の闇に埋もれていた声がよみがえっていく。
長崎の軍艦島で強制労働をさせられた。沖縄で軍夫や慰安婦にされた。広島や長崎で被爆したが長年放置されてきた――「この声を埋もれさせてはならない」。彼らを撮り続けてきた母は言う。
「被害者が忘れ去らない限り、加害者は謝罪し続けなければならないのだ」と。
母は在日朝鮮人二世、そして娘は在日朝鮮人三世。日本で生まれ育った彼らは、日本で生まれ育ったわたしと何が違うのか。彼らのアイデンティティはどこにあるのか。そして、わたしたちはそれらの声から何を受け継ぎ、どんな未来を紡いでいくべきなのか。
母と娘、2人の声で紡ぐ真実
2023年の釜山国際映画祭においてワールドプレミアされ、ドキュメンタリー部門でビーフメセナ賞を受賞。ベルリン国際映画祭に正式招待され、ジャン・ルーシュ国際映画祭では「生きている遺産賞」を受賞。2025年2月の座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルでもコンペティション部門で大賞を受賞した映画「よみがえる声」は、歴史に埋もれる声なき者たちの物語を刻銘に記録した日韓合作のドキュメンタリーだ。
監督は在日朝鮮人二世である映画作家・朴壽南(パク・スナム)。2025年に90歳を迎える彼女が約40年前から撮り続けてきた16mmフィルムを基に娘の朴麻衣(パク・マイ)が共同監督として完成させた。
それは、1910年からの日韓併合下で創氏改名された在日朝鮮人一世たちの物語であり、その歴史を受け継いで在日二世、在日三世となった母と娘が自身のアイデンティティを探し求める物語でもある。
冒頭で麻衣さんが製作のきっかけとして明示した母と娘の世代間格差が観る者を引き込んでいく。カメラを向けられた母が「相性が悪いよね、あんたとは」とカメラを向けている娘を拒絶するのだ。それは「戦争を知っている世代」による「戦争を知らない世代」に対する、そして、朝鮮半島と日本の歴史の闇を知らずに生きてきた世代に対する拒絶にも感じられた。
母の壽南さんは、1935年に三重県で在日朝鮮人二世として生を受けている。幼少期に皇民化教育を受け、天皇を神と信じる「皇国少女」として育てられた。しかし、1945年以降状況が一変。今度は朝鮮学校で祖国の歴史と文化を学ぶことになる。日本に併合されたことで朝鮮人の両親の元に生まれたのに日本人にされ、今度は敗戦とともに日本にいるのに朝鮮人に戻される。人権を蹂躙するのは権力だけではない。5歳の時には民族衣装をまとった母親が石を投げられ罵声を浴びせられるという屈辱的な光景を目の当たりにし、在日朝鮮人に対する日本人の深い憎悪に触れたと語っている。
死刑囚の手紙が導いた道
川崎で焼き肉屋を営んでいた彼女が自身のルーツを探る旅を始めたのは1958年8月に定時制高校に通う女生徒が殺害された小松川事件。逮捕された18歳の少年・金子鎮宇は、李珍宇(イ・チヌ)という朝鮮名を持つ在日朝鮮人二世だった。
日本で生まれ、日本名で育ち、日本人と同じように夢や希望を抱いていたのに、ましてや日本語しか読み書きできないのに、ルーツが朝鮮であるせいで日本社会には居場所がないと知った絶望による犯行。事件の背景に貧困と朝鮮人差別が存在していたことから壽南さんは獄中の彼と手紙のやりとりを始める。
少年法が適用される年齢であるにも関わらず、翌年に下った死刑判決は世論を二分、助命嘆願運動も起きた。関東大震災における朝鮮人の虐殺などを知る被害者の遺族さえも「日本人は朝鮮人に大きな罪を犯して来ました。恨む筋合いはありません」と申し出たが、1962年には李珍宇として絞首刑に処された。
獄中の少年との往復書簡が『罪と死と愛と』として出版されたことをきっかけに、壽南さんは在日朝鮮人一世たちの声を映像に記録し、映画作家として活動を始める。
1986年には朝鮮人被爆者のドキュメンタリー『もうひとつのヒロシマ』を。
1991年には沖縄戦の朝鮮人「軍夫」「慰安婦」の実相を追った『アリランのうた―オキナワからの証言』を。
2012年には沖縄戦の集団自決と朝鮮人慰安婦・軍属の証言を集めた『ぬちがふぅ(命果報)玉砕場からの証言』を。
2017年には韓国の慰安婦被害者たちの闘いの記録『沈黙―立ち上がる慰安婦』を。
それらの作品は壽南さんが朝鮮人としてのアイデンティティを取り戻していく過程でもあったという。
歪められた歴史に抗う声なき声
彼女の娘である麻衣さんは1968年3月に神奈川県で在日朝鮮人三世として生まれている。父親は日本人だ。
「自分には加害者と被害者の血が流れている」と葛藤を語る麻衣さんに「加害者と被害者が共に歴史を克服しなければならない」と壽南さんは伝えている。
だが、本作で声を上げているのは被害者の方ばかりだ。彼らが声を上げれば上げるほど、姿なき加害者の存在が際立っていく。
朝鮮半島の人々に限らず、日本でも、夏が訪れるたびに聞こえてくる声の多くは戦争被害者のものだ。史料を紐解いていけば、戦争加害者として証言し続けた元日本兵も存在する。「当時はそれが当たり前だった」「軍の命令だった」などと罪から逃げることなく、自身が中国で犯した残虐な行為を実名で語り継いだ数少ない日本人だ。しかし、その方も2005年に亡くなっている。現在、戦争加害者としての歴史を博物館にして語り継いでいるのは世界でもドイツくらいなのではないだろうか。
「歴史の事実を記録したものが真実だ」と壽南さんは語っている。彼女に言われるまでもなく、わたしたちは戦争被害者だけでなく、戦争加害者の声もよみがえらせて語り継いでいくべきではないだろうか。時に人は自分の見たいように世界を見てしまう。そのため歴史には主義や思想に歪められてしまう危うさがある。
だからこそ戦争被害者だけでなく、戦争加害者の声を共に後世に伝えていくことが安易に歴史を修正させない抑止力になるのではないだろうか。
悲劇を語り継ぐこと
母・壽南さんが撮り溜めてきた50時間に及ぶ未公開の16mmフィルムやカセットテープを「このままでは劣化して見ることができなくなる時代が来る」と戦後生まれの娘・麻衣さんは復元していく。「戦争を知る親の記憶」を「戦争を知らない子」が映像と音声で追体験していく。
親との世代間格差を埋めていく。そうやって戦争を語り継ぐことは、今この時代を生きるすべての親子に求められていることなのかもしれない。戦争被害者からも戦争加害者からも歴史の事実が見聞きできなくなる時代が、すぐそこまで迫っているからこそ。
1910年、日本は韓国併合により、朝鮮半島を支配した。それは戦勝国となった米ソが38度線で民族を分断するという悲しい未来へと繋がっていった。
壽南さんが獄中の少年と交わした書簡の中で、日本における朝鮮人差別をアメリカにおける黒人差別と並べて語っていることが、わたしたちに日本における朝鮮人差別の重大さを改めて突きつけてくる。
【著者プロフィール:青葉薫】
横須賀市秋谷在住のライター。全国の農家を取材した書籍「畑のうた 種蒔く旅人」が松竹系で『種まく旅人』としてシリーズ映画化。別名義で放送作家・脚本家・ラジオパーソナリティーとしても活動。執筆分野はエンタメ全般の他、農業・水産業、ローカル、子育て、環境問題など。地元自治体で児童福祉審議委員、都市計画審議委員、環境審議委員なども歴任している。
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