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“肉”は命の象徴。イリエ監督が本作に込めた思いとは?

©︎惑星ナナコス 2021

―――ファーストカットには生肉が登場しますが、本作における“肉”は、生きること、あるいは“生”の象徴のようなものではないかと思いました。肉にはどのような意味合いを込めたのでしょうか?

「ファーストカットは例外として、本作には肉それ自体が登場するわけではなく、食べるシーンが多いわけでもありません。仰った通り、肉体のイメージを含んだ、命の象徴として捉えていました。

もちろん、肉という言葉が含み持つ宗教的な意味合いとは異なる、私なりの解釈ではあるのですが。一方で、本作では生命が、意志とは無関係に死に向かっていく過程も描いています。実態はあるけどいつかは消えてしまう。そうしたものとして肉を捉えていたのだと思います」

―――たしかに本作では、神様を演じる3人のやり取りを活き活きと映し出すと同時に、“死の気配”が終始ただよっていますね。

「知人に脚本を見てもらったところ、『特攻隊の話みたいだね』と言われたことがありました。

本作が描く世界では、謝肉祭という晴れの舞台で死ぬことは名誉とされています。もちろん、当事者の中には、祖国のために勇ましく命を捧げる人もいれば、生きて帰りたいと願う人もいるはずです。

本作では、個人の意思を超えた、もっと大きいもののために死を受け入れなければならない存在を描いていて、特攻隊のケースに繋がるなと思います。そういう側面に反応してくれたのか、『社会的な映画でもあるよね』という感想をもらったこともあります」

―――乱暴な図式化かもしれませんが、イリエ監督ご自身は、崇高な死よりも肉の側と言いますか、個人の命を尊重する側に立って、本作を作り上げたのでしょうか?

「そうですね、もちろん、個人の側に立ちたいという気持ちはあるのですが、生と死の二者択一という極限的な例ではなく、身近なレベルで考えると、「私はこう思うけど、世の中の風潮は逆だから、そちらに合わせよう」というケースはいくらでもあって、私自身、個人の意思よりも全体を尊重することもあります。

本作に登場するミル神は『皆のためになるなら自分の命を犠牲にしてもいい』と思っている存在ですが、そうした志を否定したいわけではなく、それぞれの選択がある、という事実を尊重したい。というのが正直な気持ちです」

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