生と死のコントラスト〜脚本の魅力
あらすじからも分かるように、本作の脚本には、さまざまなコントラストが散りばめられている。
東京編では、ショバ代を払わない雀荘の主人を水責めで殺したり、気に入らない組の幹部をトイレで殴打したりと、村川たちの非道さをこれでもかと描く。Vシネや『仁義なき戦い』を連想させるいかにもヤクザ映画といったピリピリとした空気感が、画面全体から伝わってくる。
とりわけ、序盤に描かれる水責めのシーンの印象は鮮烈だ。舞台は夜の港。武演じる村川の指示によってクレーンで吊るされた雀荘の主人は、何度も何度も海に沈められては、息が絶える寸前で引き上げられる。
引き上げられるたびに発される「やめてくださいよ」という声はあまりにも悲痛だ。しかし、村川は顔色一つ変えず、水責めを続行。一際長い時間沈められ、引き上げられた男はもはや声を発することはない。無言が意味するのは死に他ならない。
しかし、後半の沖縄編になると、村川たちの暴力性はなりを潜め、彼らの表情が徐々にほころび始める。特に砂浜の廃屋に身を隠して以降は、ロシアンルーレットや人間紙相撲に興じる彼らの姿は、さながら仲間たちと夏休みを楽しむ少年たちのようだ。
汚い渡世を生きるヤクザと、無邪気に遊ぶ子供ー。この対比が、本作を貫いている。
また、沖縄編でみられる生と死のコントラストにも注目だ。
例えば、村川の舎弟・ケンが凶弾に斃れるシーンでは、村川たち4人が遊ぶ中、釣り人に扮した殺し屋が「遊びの邪魔」をしにやってくる。生を謳歌する4人のもとに唐突にやってくる死。その表現はあまりにショックである(このシーンでは、殺し屋から逃げて生き延びた良二と、殺し屋に立ち向かって命を落としたケンも対比になっている)。
なお、本作の内容はほぼ順撮り(シーン順に撮影すること)で撮影され、撮影内容は北野から逐一口頭でスタッフに共有されたのだという。これほどの緻密な脚本を自らの頭の中だけで作り上げた北野。その才能に思わず唸ってしまう。