「目に見えないもの」への想像力ー脚本の魅力
本作には、トトロ以外にも、空想上のキャラクターが登場する。例えば序盤の引っ越しのシーンでは、サツキとメイが「まっくろくろすけ(ススワタリ)」という生き物に出会う。毛玉状の黒い体で、真ん中にクリクリした目がついたこの生き物は、民家の暗闇に生息し、陽があたるとどこかに四散するのだという。
また終盤、サツキとメイを母のいる病院に送り届けるというファインプレーを見せた「ネコバス」は、化け猫がバスに化けたもの。サツキとメイ以外には姿が見えず、ただの風にしか感じられない。
かつての日本人は、夜の闇や風といった「目に見えないもの」に姿形を与え、「妖怪」や「物の怪」として具現化した。本作では、サツキとメイが生み出した妖怪たちが、現実とシームレスに表現されているのだ(その意味で、中盤に登場する「夢だけど夢じゃなかった」というセリフは、まさに本作の物語を端的に表しているといえるだろう)。
本作は、スタジオジブリの作品の中でも都市伝説が多い作品としても知られている。とりわけ有名なのが「サツキとメイ死亡説」と「トトロ死神説」だろう。
「サツキとメイ死亡説」の内容は、迷子になったメイと捜索に奔走するサツキは途中で命を落としており、トトロとネコバスとの交流が描かれるパートは、黄泉の世界の出来事である。その証拠に、本作ではサツキとメイの影が描かれていないシーンが随所にあり、2人がすでに死んでいることを暗示しているというものだ。
上記の説を採用すると、トトロの見え方も変わってくる。サツキとメイをあの世へと誘う、死神というわけだ。
禍々しい都市伝説が付きまとう『となりのトトロ』だが、1963年に埼玉県狭山市で発生した実在の殺人事件である「狭山事件」が裏テーマとなっているのではないかという噂も絶えない。
16歳の少女が行方不明になった末、死体で発見されたこの忌々しい事件が起きたのは5月であり、劇中で行方不明になるメイ(英語のMayは5月)の名前とかかっている。また、サツキとメイの年齢を足すと被害者の年齢に一致する。劇中に「狭山茶」と書かれたダンボールが登場する(舞台とされる所沢市は狭山市の隣に位置する)など、考察好きの心をくすぐる細部にこと欠かない。
上記のような都市伝説がネットを中心に流布している状況を見かね、2007年にはスタジオジブリがそれらはすべて根も葉もない話であると公式に否定している。
日本を代表する国民的アニメ映画の価値が根拠の薄い都市伝説で毀損されることはあってはならないと思う一方、観客の想像力を刺激し、映像のディテールや演出によって観た者に「別の物語=都市伝説」を仮構させてしまう、本作の神話としてのパワーには感嘆せざるを得ない。
「目に見えないもの」に姿形を与え、物語を創り出し、語り継ぐことで、生を営んできたかつての日本人と、「目に見えるもの」から想像を膨らませ、まことしやかな解釈を引き出す現代の観客は対照的なようで、どこかで深く通じ合っている。
なお、スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫は後年、本作のもともとのプロットが、「トトロ族と人間の戦いの物語だった」と述懐している(このコンセプトは、後に高畑勲監督の『平成狸合戦ぽんぽこ』に活かされる)。
本作の根底には、近代以降日本人が忘れてしまった民俗学的な心性がかすかに息づいているのだ。