有楽町マルイにて『新世紀エヴァンゲリオン セル画展 presented byアニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)』開催中
有楽町マルイ8階にて、6月30日(金)から7月9日(日)にかけ行なわれている「エヴァンゲリオン感謝祭in有楽町マルイ」にて、『新世紀エヴァンゲリオン セル画展 presented byアニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)』が開催されている。これを記念して7月2日(日)、ギャラリートークが開催された。
「セル画はアニメ制作にかける悪戦苦闘の証拠品」
アニメ制作での裏話も
有楽町マルイ8階SPACE1・2にて、6月30日(金)から7月9日(日)にかけ「エヴァンゲリオン感謝祭」が開催中だ。『エヴァンゲリオン感謝祭』とは、エヴァンゲリオン関連会社の長期保管品をチャリティ販売し、売り上げの一部をアニメ特撮の文化を後世に伝える資料保全活動に寄付するというチャリティイベント。
3回目を迎える今回の有楽町マルイでのイベントでは、認定NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)で保存している「新世紀エヴァンゲリオン」のセル画や原画など貴重な資料展示のほか、ギャラリートークで保存している「新世紀エヴァンゲリオン」のセル画や原画など貴重な資料展示のほか、ギャラリートークやセル画トレスマシン体験など、ATACの活動の一部に触れるスペシャルイベントとなっており、チャリティの販売物の多くはすでに販売が終了しているものや、現在では入手が困難な製品で、通常販売に供されない非売品やサンプル品も含まれる。
この度、「エヴァンゲリオン感謝祭」の開催を記念して、『新世紀エヴァンゲリオン セル画展 presentedby アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)ギャラリートーク』を実施。ゲストはATACメンバの4名――三好寛(ATAC事務局長/カラー文化事業担当学芸員)、辻壮一(ATAC研究員)、神村靖宏(グラウンドワークス代表取締役)、風間洋(河原よしえ、著述家)。認定NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)の活動紹介をはじめ、会場に展示されているセル画など中間制作物の説明や、アニメーション制作の裏側などを語るトークイベントとなった。
認定NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)の事務局長を務める三好寛、同じくATACの研究員でこれまで数多くのアニメ作品の製作などに携わってきた辻壮一、「エヴァンゲリオン」シリーズなどの著作権管理を行う株式会社グラウンドワークスの代表取締役・神村靖宏、そして、株式会社サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)の数々の作品にスタッフとして関わってきた著述家の風間洋(河原よしえ)が出席し、デジタル化以前のセル画によるアニメ制作にまつわるエピソードなどを語り合った。
トークに先立ち、まず三好さんは「アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)」という認定NPO法人について、今回、展示されている貴重なセル画など「アニメーションや特撮作品をつくる過程で生まれる中間制作物を保存している認定 NPO法人です」と説明する。
デジタル化以前のアニメ制作で欠かすことができなかったセル画だが、辻さんは「『新世紀エヴァンゲリオン』の放送が始まったのが1995年ですが、まさにセル画がなくなる直前で、(セル画での表現技術が)一番発展し、その後(デジタル化によってセル画が)消えた時期なんですね。セル画時代のテクニックはデジタルに移行して残されていますが、最初のテレビ版から新劇場版が制作されるまで10年ちょっとの間にどれだけ技術が発展したのか(TVシリーズと新劇場版を見比べることで)よくわかると思います」と語り、三好さんも「セル画はアニメーション制作における悪戦苦闘の証拠品なんです」と頷く。
風間さんは、もともと漫画を描いていたが「たまたまサンライズに遊びに行ったら『絵を描いてるなら線を描けるよね?』『色も使えるよね?』『学校が終わった後、会社に寄れる?』という感じで取り込まれました(笑)」とアニメの世界に関わることになった経緯を明かす。
そして、風間さんはいまでこそ、貴重なアニメ制作過程の資料であり、ファンを熱狂させるセル画が「以前は(アニメの放送が)終わったらゴミだったんです。30分番組で約3千枚。産業廃棄物でした。それが、『アニメが好き』という人が出てきて、ファンがもらってくれるようになったんです。ATACで保管しているセル画もファンが保存してくれていたものがたくさんあります」と語る。
ここからトークはセル画ならではの苦労話や制作の裏話に。辻さんは「セル画はデジタルと違って、絵の具を乾かすのに一晩時間がかかったので、現場の負担がすごく大きかったんです。デジタル化によって“乾き待ち”がなくなりました」と語り、
風間さんも「上手な人は薄く塗るけど、ヘタだと分厚く塗ってしまうので、そのぶん、乾くのに時間がかかるんです。私の場合、1日頑張っても110枚くらいが限界でした。ある制作進行さんは、(進行がギリギリになり)塗り上がってもまだ乾いていないので、車の中に板を敷いて、セロテープでセル画を貼り付けて、真夏だけど暖房をガンガンかけて運んでいました(笑)」とエピソードを明かす。
神村さんは、学生時代に庵野秀明監督らによる自主制作グループ「DAICON FILM」に参加しており、制作進行を担当していたこともあり「全工程をやらされていた(笑)」とのことで、もちろんセル画の色塗りも経験済み。「乾かない内は次の色が塗れないんですね。いろいろコツがあって『狭いところから塗りましょう』とか『濃い色から塗っていきましょう』とかありました」と懐かしそうに振り返る。
また、セル画によるアニメ制作からデジタルへの移行は、アニメ業界の“働き方”を大きく変えることにもなったようで風間さんは「昔は、子どものいるお母さんたちに内職バイトで仕上げをやっていただいていました。上がってきたセル画を見ると赤ちゃんの手のあとがついていたり(笑)。(アニメスタジオの多い)練馬区や杉並区あたりのお母さんたちで、やっていたという人は多いかもしれません」と語る。
辻さんは「演出がチェックしたセル画の入ったカット袋をひとまとめにして“オカモチ”と呼ばれるプラスチックのデカい衣装ケースに入れて運ぶんですけど、これが重くて男性でも持ち上げるのがキツいレベルでした。最近、女性のアニメ監督や制作進行も増えていますが、現場にセルがなくなったのも理由のひとつだと聞いてます。女性がアニメ制作の中核に入ってこられるようになったのは、業界的にもすごく良い変化だと思います」とデジタルへの移行で肉体的な負担も大きく軽減されることになったと説明する。
デジタル時代になって、使用できる色の数も飛躍的に増加したが、セル画時代はかなり制限があったという。風間さんによると「ガンダムの頃はだいたい100色弱。『勇者ライディーン』(1975~76)で70くらい」とのことだが、これが「エヴァンゲリオン」ころには「それよりはずっと多く使っていたと思いますが、何百色とかではなくて、デジタルでは使える色に比べると微々たる色数でした。」(神村さん)。
先述のように下請けに色塗りの作業を発注するため、ある程度、色の数を制限しなくてはならず、辻さん曰く「普通のテレビアニメだと120色くらいが標準でした。大事なのは(色を)どう選ぶか。色彩設定さんの腕の見せ所でした」。風間さんは自身の経験したエピソードとして「サンライズではロボットの色を6色以上にすると怒られました(笑)。赤、黄色、青、白、グレーでもう5色…。さらに影をつけなくちゃいけないけど、10色になると睨まれました」と明かし、会場は笑いに包まれた。
風間さんも「『伝説巨神イデオン』はグレーだけで8色もあったけど、当時のブラウン管のテレビじゃ全部同じ。『何を考えてるんだ!』って言ってましたね(苦笑)」と当時の苦労を思い出していた。
限られた時間の中での制作の苦労に話が及ぶと、神村さんが「エヴァンゲリオン」の制作時の思い出として「スケジュールは厳しいのに、監督の庵野さん自身が電柱に影をつけようとして…(苦笑)」と明かし、風間さんは「監督がそれをやり出したら現場は大変ですよね(苦笑)。サンライズは制作現場の管理が厳しかったので、監督がそういうことをしていると制作プロデューサーに怒られるので富野由悠季さんもおとなしかった(笑)」と語り、会場は再び笑いに包まれていた。
この日は、会場に詰めかけたファンからも質問を募ったが「キャラクターによって塗るのが簡単とか塗りにくいとか難易度は違うものですか?」という質問に、神村さんは「(キャラクターによって)色が多い少ないというのはありますね。あと、作画では、アニメ―ターによっては『このキャラが好きだから自分のところに回してくれ』と圧をかけてくる人もいたそうです(笑)」と明かした。
中間制作物の保存を目的とするNPO法人とあって、トークではセル画の保存と避けられない劣化についての説明も。神村さんはトレスマシンによって線が引かれたセル画について「トレスマシンの線は太陽光や蛍光灯などの光に反応して、絵の具の側に拡散しちゃうので、トレスマシンでつくられたセル画は劣化が避けられません」と説明。「セルの寿命は50年なんじゃないかというのを最近、実感します。20年前は感じなかったんですが、最近、昔のアニメのセルを見ると、波打ちが始まっていて、“ビネガーシンドローム”と言われる酸っぱいにおいがするものが増えてきました」と語る。
風間さんは、オリジナルの“画”として取っておくために、セルが劣化する前にコピーをとっておくことをアドバイス。そして「おそらくみなさん、セルがほしいと思ったのは、例えば『アスカちゃんが好きだから』『画を近くに置いておきたい』といった気持ちから始まってるんじゃないかと思います。(アニメは)俳優さんがいない代わりに、セルが「本人」みたいなものじゃないですか。だから歳を取ったんだと思ってあげてください。『いつまでも17歳のままじゃないよね。僕と一緒に歳をとったんだね。これからも一緒に歳をとろうね』と思ってあげてください」と呼びかけていた。
最後に三好さんは改めて今回の展示を通じて「アニメを少しでも好きになっていただければ嬉しいです」と語り、辻さんも「作品を楽しんでいただく、ひとつの要素として、見ていただければと思いますし、みんながこうやって作ったものの価値を、後世の人たちにもぜひ共有していければと思っています」と語る。
風間さんは「みなさんの周り、例えばおじさんやおばさんで『セルを持っている』という人がいるかもしれませんが、これから先、そういう方たちが亡くなっていく中でごみとして捨てられてしまう可能性が大きいです。万が一、そういうものを見かけたりウワサを聞いたら、ぜひATACに連絡してください。そういうものをすくい上げていくお手伝いをしていただければと思います。せっかく、日本が何十年も培ってきた文化です。浮世絵のようにならないように、ご協力をお願いします」と呼びかける。
神村さんは、風間さんの言葉にうなずき、過去に日本が誇った浮世絵の版木がほとんど残っていないことで「浮世絵がどのように制作されてたのか本当のところはよくわからなくなっています」と語り「でも、いま資料を残せば、セル画をどうやって作ったのか?あのアニメがどういうふうにつくられたのか?というところまで掘り下げて残すことができます」と語り、ATACの活動への支援と協力を呼びかけた。
トークセッションの終了後には、風間さんが実際にセル画のハンドトレスや色塗りの実演を披露。鮮やかなペンさばきに、詰めかけた多くのアニメファンは熱い視線を送っていた。
なお、「エヴァンゲリオン感謝祭 in 有楽町マルイ」では『新世紀エヴァンゲリオン セル画展 presentedby アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)』に加えて、貴重なグッズやアイテム数千点を集めた『お蔵出しエヴァグッズ チャリティ販売』が7月7日から9日までの日程で行なわれる。
【三好寛氏 認定NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)事務局長】
(株)スタジオジブリにて三鷹の森ジブリ美術館の学芸員として同美術館の展示、収集保管、調査研究等を担当。東京都現代美術館で開催された「スタジオジブリ・レイアウト展」(08年)、「館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」(12年)などにも携わる。スタジオジブリ退社後、(株)カラーに入社(15年)、文化事業担当学芸員としてATACの設立(17年)に携わる。
【辻 壮一氏 認定NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)研究員】
1980年代よりフリーランスでアニメ作品の現場取材、ムックなどの編集を手がけ、その後角川書店(現KADOKAWA)にて漫画雑誌の編集、国内・国外のライセンシー業務、アニメ作品の製作などに携わる。現在はATACで主にアニメ資料の管理・保管の研究にあたっている。
【神村靖宏氏 〔株〕グラウンドワークス代表取締役】
大阪大学在学中に自主映画の制作集団「DAICON FILM」に参加。91年、〔株〕ガイナックスに入社。版権管理業務にたずさわる傍ら、『エヴァンゲリオン』のデジタル2Dワークスを担当。2010年、ガイナックスを退職し、版権管理業務を行う〔株〕グラウンドワークスを設立。19年12月、〔株〕ガイナックス代表取締役を兼任。
【風間洋(河原よしえ)氏 著述家】
1975年より(株)サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)の『勇者ライディーン』(東北新社)制作スタジオに学生バイトで所属。卒業後、正規スタッフとして『無敵超人ザンボット3』等の設定助手、『最強ロボ ダイオージャ』『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』『巨神ゴーグ』等の文芸設定制作、『重戦機エルガイム』では「河原よしえ」名で脚本参加。『機甲戦記ドラグナー』『魔神英雄伝ワタル』『鎧伝 サムライトルーパー』等々の企画開発等に携わる。1989年より著述家として独立。同社作品のノベライズ、オリジナル小説、脚本、ムック関係やコラム等も手掛けている。