カルチェラタン、男女の団結の象徴ー脚本の魅力
本作の注目ポイントは、原作には登場しないカルチェラタンの存在だろう。文化部の部室棟であるカルチェラタンは、女性だけが暮らすコクリコ荘とは対照的に、男性だけが暮らす空間になっている。また、住人たちも、画家や研修医など、キャリアウーマンを目指す女性が多く暮らすコクリコ荘とは対照的に、一癖も二癖もある学生たちが多く暮らしている。
そんなカルチェラタンをめぐり、男女が性別を超えて一致団結するシーンは、観客の胸を熱くさせること請け合いだろう。特に、女性たちが一堂に会し、カルチェラタンの保全のため、内部の掃除に一斉に着手するシーンは、『紅の豚』(1992年)の修理のシーンを思わせる壮大さと爽快感にあふれている。
また、通常のジブリ映画とは異なり、主人公・海の日常が丹念に描写されているのも本作の大きな特徴だろう。海は、早起きをしてかまどに火を入れ、朝食を作る。そして学校に行く前に洗い物を済ませ、洗濯をし、旗を揚げる。
こういった描写はどれも、彼女の几帳面な性格を表す描写だ。しかし、こういった「モーニングルーティン」が真に意味を持つのは、俊から異母兄弟である可能性を告げられた後だろう。
その日の夜、渡米中の母と亡き父の夢を見た海は、いつも通り釜に火を入れ、花瓶の水を変え、また旗を揚げる。いつもと変わらない日常なのに、海が抱く喪失がはっきりと浮き彫りになる。このあたりの話運びは、なんとも巧みだ。