聖司の職業をチェリストに改変したのは逃げなのか?
原作コミック、アニメ版、実写版という3つの『耳をすませば』。そのすべてにおいて設定が異なるのは、天沢聖司の目指している職業である。
原作では画家、アニメ版ではバイオリン職人を志し、修行のために海外へ飛び立つという設定であった。一方実写版では、聖司はチェリスト(チェロ演奏者)を目指して渡欧し、見事に夢を叶えた姿が描かれている。純然たる視覚媒体であるコミックに比べ、映像作品では音響表現も重要になる。各バージョンの作り手は、メディアの特質を考慮した上で、天沢聖司の職業を設定したのだろうと想像するのは難しくない。
一部では、聖司の職業を楽器演奏者にアレンジするならば、ジブリ版に敬意を表して「バイオリン奏者」にするべきだという声もあるようだ。あるいは「バイオリンではなくチェロ奏者にしたのは、チェロのほうがバイオリンよりも演奏のハードルが低いからだ」という邪推する声も聞かれる。
真相はわからない。しかし、少なくとも筆者は、チェロの落ち着いた音色が、松坂桃李演じる少年から青年に成長した天沢聖司の、柔らかくも、内に秘めた情熱が垣間見える雰囲気とマッチしているように感じた。この印象は高音楽器であるバイオリンでは表現できないだろう。
実写版『耳をすませば』では、大人になった雫と聖司が一つの画面に映るシーンが、実は多くない。その反面、雫が心の声に耳をすまし、「翼をください」を口ずさむシーンが多く描かれる。そんな雫のアクションに呼応するように、チェロを演奏する聖司のカットが示されることで、遠く離れていても両者の心は結びついている、ということがちゃんと伝わるのだ。
ちなみに、チェロは「人間の声に一番近い楽器」として知られている。以上を鑑みると、実写版『耳をすませば』において天沢聖司の職業がチェリストであるのは、ネガティブな理由のみならず、ポジティブな理由も見出すことができるのだ。