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セリフではなく登場人物たちの表情によって語る

Ⓒ春巻号
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―――印象的だったのが、ダラダラした会話劇ある反面、前半20分ぐらい、主要キャラ3人がずっと無言だったことです。彼女たちが何を思っているかを、視聴者に委ねるという意図でしょうか?

「そうですね 。誰も何もしゃべらないから、怒って帰っちゃうお客さんもいるかもしれませんが(笑)」

―――アハハ!いや、怒りはしないでしょうけど。

「まあ、怒らなくても、例えば寝ちゃってもいいと思うんですよ。寝ちゃう映画は良い映画だという話もよくありますし」

―――映画監督自身による、新しい解釈ですね(笑)

「まあ、話を戻しますね。昨今のコロナ禍で、やっぱり映画館で観る価値のある映画を作りたいということは、ずっと念頭にありまして。

例えば、タイのアピチャートポン・ウィーラセータクン監督の作品は、熱帯雨林みたいな場所を舞台にした作品が多いんですけど、周りの音や風景を聞いて見ているだけの時間というのも結構、長かったりするんです。

そういった感覚は映画館だから最大限に活かされると思うんです。映画館と映画自体の持つ力を信じたい、というのもこの作品を作った意味の一つですかね」

―――あくまで、映画館で観てほしい作品であると。

「映画って、総合芸術で色んな要素が複合的に絡んでいるものだと思うんですけど、それと同時に何かを奪うことによって何かに集中するという要素もあると思うんです。

映画ではないのですが、『ダイヤ ログ イン ザ ダーク』という、盲目の方々が開催しているイベントがあるのですが、まず目隠しをされるんですよ。で、その暗闇の中で、目の不自由な方たちに連れられて歩いていくんですね。そんな中、例えば足を踏みしめる音や匂いなどを感じることで、どんどん想像力が豊かになっていくんです。

それもこの作品を作る間接的なヒントになったかなと。本当はこういう音が聞こえていてなどといった感覚を、視界に頼りすぎてどこかで遮断してしまっていたりもしているんだろうなと気付かされました」

―――五感で体感してほしい映画だと。

「ええ、原一男監督の『さようならCP』は小児麻痺の人たちが住んでいる村の話なのですが、決して言語が一語一句聞き取りやすいわけではないのですが、原監督はあえて字幕を付けなかったんです。でも、それによってこっちは聞こうとするし、また表情や唇から何かを読み取ろうとしっかり観るんです。

そのような作品などの影響もあり、冒頭20分、会話を奪うことによって、登場人物たちの表情から汲み取ろうしていただきたいなと。しかも、それがおそらく映画館であればあるほど、そこに集中してくれるだろうし、周りの自然音などを感じ取ってもらえるかなと。で、後半のだらだらした会話が、なおさら効いてくるんじゃないかなと考えまして」

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