実は恐怖映画…? カオナシとハクが象徴するものとは? 映画『千と千尋の神隠し』深掘り考察。海外レビューを紹介
text by 編集部
宮崎駿監督が手掛けた、人気アニメーション作品『千と千尋の神隠し』(2001)。米メディアColliderは本作について、「若いヒロインの千尋を通して見る”恐怖”と”不安”」と考察している。一体どういうことなのか、早速内容を紹介しよう。
人間の不安を象徴する千尋というキャラクター
宮崎駿が友人の10歳の娘に着想を得て描いたといわれる『千と千尋の神隠し』は、公開から20年以上を経た現在も世界中で愛される作品だ。
本作の主人公、千尋の声は、日本版では女優の柊瑠美が務めており、英語版では『リロ・アンド・スティッチ』(2002)のヒロイン、リロ役で知られるデイヴィー・チェイスが演じている。
また、敵役である湯婆婆の声は、日本版ではドラマ『野ブタ。をプロデュース』(2005)などで知られる夏木マリが、英語版では『鳥』(1963)でおなじみのスザンヌ・プレシェットが演じている。
本作では、強力な魔女から両親を救うため、ヒロインである千尋が自身の内面と対峙する様子が描かれている。
本作で描かれるのは、主人公・千尋の恐怖と不安だ。
不思議な世界に迷い込んだ千尋と両親は、店先にあるご馳走を見つける。両親は、引き止める千尋をよそに、「後でお金を払えば問題ない」と食らいつく。湯婆婆は、そんな2人を豚に変えてしまう。
千尋は、豚になった両親を助けるため、「油屋」という銭湯に足を踏み入れる。突然両親と別れ、自ら行動を起こさなければならないという状況は、年端の行かない子どもにとっては最大の悪夢だろう。作中では、自身を襲う恐怖に対する千尋の行動を軸に物語が展開される。
しかし、見方を変えれば、こういった恐怖は、千尋を試す試練でもある。千尋は、無数の恐怖を乗り越えて両親を救うことで、引越し先での新たな生活に対する不安を払拭する。つまり、本作は、1人の少女の成長と大人への旅立ちを描いた作品なのだ。
そういった意味で、神々の世界に閉じ込められた千尋は、人間であれば誰もが抱える根源的な不安を擬人化した存在なのかもしれない。