『ミッシング』が描くドキュメンタリーの危うさ

©2024「missing」Film Partners
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『ミッシング』は、取材者と被写体の関係性の危うさも描いている。

事実というのは簡単に歪められるのは、前作『空白』でも語っている。松坂桃李演じるスーパーの店長・青柳直人へのインタビュー素材が巧みに切り貼りされ、あたかも一切反省していないように印象操作されていたように、演出次第でいかようにも事実は曲げることができるのだ。

沙緒里は事件のことをもっと広めて娘に関する情報を集めたいし、砂田は見応えのあるVTRが撮りたい。撮れ高があればVTRに厚みが出る。厚みがあれば視聴者は食いつき、娘の情報は集まりやすくなる…と、二人の利害は一致しているので、沙緒里は「テレビが撮りたい被写体=悲しみに暮れる母親像」に積極的に近づこうとする。芸人さん用語で言うところの「やりにいく」という状態である。

特に“やりにいって”いたのが、本人不在で美羽の誕生日を祝うシーン。本来の誕生日は数日後だが、その日は選挙報道で忙しい砂田らは撮りに来られない。「じゃあ今から撮りますか?」「ケーキ買ってきて」と急遽誕生会シーンのセッティングが始まる。「演出」に前向きな沙緒里と砂田とカメラマンの3人と、ただ一人疑問を持ちながら付き合う豊。その3人と1人の温度差がどこか滑稽だった。

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