坂東龍汰「え、映ってんの?(笑)」
変則的なカメラワークについて
―――本作は、セリフのみならず、フレーミングにもはっきりとした特徴があります。ほぼ全カット、人物が構図の中心から外されています。今回は前作までタッグを組まれていた四宮秀俊さんではなく、岩永洋さんにカメラを託されています。カメラワークに関して、どのようなコンセプトがありましたか?
二ノ宮「今回は人物を映し、物語を作るんですけども、その中で、空間の中に人物がいるというイメージを持っていました。とはいえ、それをどこまでやるか、バランスを凄く考えて、 岩永さんと相談した上であのような形になりました」
―――画面の上部が空くことによって、鳥が何回も画面を横切りますね。お墓参りのシーンでも横切ったと思うんですけど、あれが入ることによって、英治が頻繁に口にする言葉を引用すると、画面内の出来事が『しょうもない』もの、ちっぽけなものに見えてくる。画面内で描かれる3人の振る舞いを相対化する効果を生んでいると思ったのですが、いかがでしょうか?
二ノ宮「撮影前はそこまで考えていませんでしたが、撮っている段階で、今言ってくれたように、セリフと空間のあり方が凄く合っているなと思うことはよくありました」
坂東「この映画には『この世』っていうセリフもよく出てきますけど、人物を構図の中心に置かないで撮るスタイルは、“この世”っていう言葉が持つスケールを表現する上でも効いているのかなと、鳥の話を聞いていて思いましたね」
―――お墓のシーン、ロケーションが凄いと思いました。線路に挟まれていますけど、奥に見えるのは団地ですか?
二ノ宮「あれはマンションですね」
―――“生”と“死”が同一フレームに収まっている…素晴らしいシーンだと思いました。
二ノ宮「あそこは南千住にある延命寺というお寺で、かつて小塚原刑場があった場所なんです。処刑された人を供養するために祀られた首切り地蔵があって、このシーンの最初のカットで映しています」
―――「首切り」というワードは終盤の展開、さらには渉と豊原功補さん演じる義父とのシーンを考える上でも重要になってきますね。坂東さんはフレーミングがお芝居に与える影響はありますか?
坂東「基本的には無いです。でも今回に関してはありました」
―――それはどのような点で思いましたか?
坂東「映ってんの?って(笑)。でもそれは最初だけですけどね。1発目は視界の端っこにカメラがあって、“え?”みたいな」
二ノ宮「(笑)」
―――事前に監督から、今回は変則的なアングルで撮る、といった説明はありましたか?
坂東「無かったですね。何にも無かった」
二ノ宮「けど長回しが多いってことは伝えた」
坂東「はい、それはもうリハーサルの時点で知っていて。僕としては、カメラがどこに入るのかということはあまり関係がないというか、どっから撮られようが、基本的には誰も見てないっていう状況下で物事が進んでいると捉えて芝居をするので。
とはいえ今回は、カメラがここにあるのか!っていう驚きはあって。それを改めて思わせられたのは豊原さんとのシーン。現場で豊原さんが『俺、映ってる?』ってひたすら言っていて(笑)。俳優たるもの、やっぱり気になるんだなと思いました(笑)」