7年に及ぶ製作期間で変化した思い
―――本作は、構想から完成まで7年かかったそうですが、この長い制作期間の中で、ご自身にどのような変化がありましたか?
秋葉「本作は私の実体験なので、父の死を背負いながら生き続けているという部分では変わりませんが、その背負い方が変わっていく感覚はありました。芝居を通じて、父親と触れ合える瞬間を私は求めていましたが、撮り終わってからは、『自分自身でいていいんだ』、『自分自身のまま芝居をしても大丈夫なんだ』と感じることができました」
―――クランクイン前と、完成したものを見てから自分の変化に気づいたのですね。すごく素敵なお話をありがとうございます。お2人は幼馴染という関係の役柄でしたが、お互いの関係性をどのように構築していきましたか?
田中「コミュニケーションはかなり取っていました。現場は、暖と壮介の旅でもありましたが、『秋葉組』の旅でもあったので、どうですか?」
秋葉「そうですね。脚本段階から爽ちゃんはたくさん相談に乗ってくれて、その中で1つ、セリフが決まっていないシーンがあったんですが、現場で積み上げながら、ギリギリまで『どんな言葉が出るだろう』と話し合い、敢えて直前まで決めない。というような場面もありましたね」
―――今回、「秋葉組」の座長として、どのようにコミュニケーションを取っていきましたか? 意識したことを教えてください。
秋葉「元々、私はリーダー気質ではなく、監督経験も豊富ではないので、絶対に自分の力だけでは足りないと思っていました。だから、相談ベースで進めていける座組を作る必要があったので、元から交流のあるスタッフに協力をお願いしました。なので、自分の中では“頼る”ということを意識していました」
―――引っ張っていくというよりは、一緒に歩んでいくイメージだったんですね。田中さんから見て、秋葉さんはいかがでしたか?
田中「秋葉は、『これはこうしたい』という意思はしっかり持っている人なので、今『私の力が及ばないと思った』と言っていましたが、僕にとっては頼りがいのある座長でした。『ありがとう』って感じです」
秋葉「こちらこそありがとう」