複雑化するユニバース
いいことづくめのシェアード・ユニバースだが、リスクも孕んでいる。それは物語の複雑化とメイン俳優の濫立だ。
例えば、『アイアンマン』(2008)を中心とした「マーベル・シネマティック・ユニバース」は、解説本が出版されるほど複雑化している。新作がリリースされても、物語と時間軸、惑星の位置といった関係を理解していなければ楽しめないほどだ。
本来ならば娯楽として消費できたはずのヒーロー映画が、予習しなければ楽しめなくなり、新たなファンを呼びにくい状況になってしまっている。また、ユニバースが広がれば、徐々に作品がバラエティ豊かになっていく。その結果、一貫性が失われ、テーマがぼやけてくるのだ。
さらに、主役級の俳優陣が出演すると俳優の個性が埋没しかねない。『ラストマイル』はシェアード・ユニバースといっても、あくまでも物語をリードするのは満島ひかりと岡田将生である。キャラクターアークは二人にフォーカスされているため、視聴者は感情移入しやすい。
だが、もし石原さとみや綾野剛を物語の主軸に絡ませたら、視聴者は目移りしてしまうだろう。もちろん、最初は豪華キャストの登場に顔を綻ばせることだろうが、主役級があまりにも濫立すると個々のスター性が失われ、平均的になってしまうリスクがあるのだ。