「子どもの目線」から撮る〜映像の魅力
本作には、非対称な「のぞき見」構造に加えて、「見下ろす」「見上げる」という構造も頻出する。
例えば、りんの服を新調した信代が、りんが着ていた服を縁側で燃やすシーン。信代は、一斗缶の中で服が燃える様子を見ながら、りんを強く抱きしめる。また、亜紀がJKリフレ店のトークルームで発話障害を抱えた「4番さん」と会話するシーンでも、亜紀は彼に膝枕をさせた状態で、彼が自分で自分を殴った手のケガを心配する。
これらの視線に共通するものー。それは、これらの視線が、自らと似通った境遇にあるものへ向けられていることにあるといえるだろう。
そしてこの構造の最たるものが、縁側から花火を見るシーンである。このシーンでは、ビルの隙間から花火を覗き見る治たちの姿を、なんと打ち上がった花火の目線から見下ろしている。観客は、ここではじめて社会の下層で暮らす彼らと視線を交わらせることになる。治たちを突き放しながらも、温かく見守っている。そんな印象深いカットである。
そしてラスト。実の親の元へとバスで向かう祥太は、治と別れた後少し高い位置からバスの外を見下ろす。また、親元に戻ったりんは、アパートの柵越しに下界を見下ろす。本作の撮影監督・近藤龍人は、本作を「子どもの目線」から撮ることを想定していたという。
そんな彼らの眼差しは、映画の枠を超えて、私たちが暮らすこの社会へと向けられているのかもしれない。