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“暴こう”という意図とは無縁のやさしい眼差し

(C)2024 Laboratory X, Inc
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 被写体との絶妙な距離の取り方に何度も感嘆の声が漏れる。つかず離れず。離れ過ぎず踏み込み過ぎず。何よりそのやさしい眼差しにドキュメンタリー映画に対する固定観念が良い意味で裏切られる。撮ることの暴力性を露呈させる”暴こう”という意図が微塵もない。

伝えたいことを伝える為に仮説を立て証拠を集めて証明しようとするドキュメンタリーのように「これを撮らなければ」という強迫観念がないせいなのか。観ていてまるでストレスを感じない。ドキュメンタリーにありがちな撮られたくない人にカメラを向けて一緒になって暴いているような罪悪感を感じないのだ。

 そのやさしい眼差しは想田監督が愛する猫たちにも同じように注がれている。猫も人間と同じように「個」として観察されている。人間がいろいろなら、猫にもいろんな「個」がいることがわかってくる。人懐っこい奴。人間とは一定の距離を置いている奴。食いしん坊な奴。人間に喜怒哀楽があるように、猫たちもまたカメラの前で多様な表情を見せてくれる。

 目を引かれたのは民家に入り込んで居座ろうとした猫だ。家主が「おんもいこうね」と猫撫で声で追いやろうとするがそれでも土間に居座ろうとする。その短いシーンが本来猫は家の中で人間と共存していた生き物だったことを思い出させてくれる。

 家猫と人間の歴史は世界では9500年前、日本でも2000年前の弥生時代まで遡る。猫は鼠などの害獣を駆除し穀物を守ってくれる家畜だった。野生のヤマネコと違ってずっと家の中で暮らしてきた。すなわち野良猫というのは人間社会におけるホームレスと同じなのだ、と。

 そう、眼差しはやさしいが良い部分ばかり撮っているわけでもない。想田監督のカメラは人間の無自覚な原罪のような部分も真摯に映し出している。かといってその罪をクローズアップして責めるような無粋なこともしない。あくまでそこにある風景の一部のように捉えているように私には感じられた。

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