「これまでの10年間は何も通用しなかった」
巨匠・若松孝二監督との出会い
ーーー先ほど、20代の頃とはお芝居への向き合い方が変わったと仰っていましたが、ターニングポイントはいつでしたか?
「自分はどなたかの付き人をやっていたわけでもなく、突然役者デビューしてしまったので、俳優を目指してこられた方とはスタートラインが違うんです。だからやりながら自分で学んでいくしかなかった。教えてくれる人もいなかったですし、10年間くらい彷徨っていた中で、初めて自分が恩師だと思えた人は若松孝二監督です」
ーーー私は井浦さんが初めて若松孝二監督の作品にご出演された『実録・連合赤軍 あさま山荘への道』が凄く好きなんです。
「ありがとうございます! 珍しいですね(笑)。デビューしてから10年くらいは、本当に自分の感覚だけでやっていて。
本来は、来た仕事を順番にやっていき、色んなことができるようになって研ぎ澄まされてから仕事を選んでいくと思うんですが、僕の場合、逆だったんです。デビューから仕事を選びまくって、やらなかったらやらなかったで、1~2年くらい平気で過ごしていたり。
もちろん携わったお仕事は一生懸命やるのですが、お芝居の難しさや楽しさの表面にしか手が届かなかったんです。とはいえ、10年くらいやったら職人さんたちが一人前になるように、自分もサバイバルしてきたな、と思えたタイミングで若松監督と出会いました」
ーーー出会いのきっかけは何だったのでしょうか?
「若松監督は初めて自分から飛び込んで行った方なのですが、ポレポレ東中野に『若松孝二にあさま山荘を撮らせたい』というカンパ募集のチラシがあって、そこに若松プロの電話番号が書いてあったので、『俳優のオーディションやってますか?』と自分から電話をしたのがきっかけです」
ーーー実際に若松監督の現場に飛び込まれてみて、いかがでしたか?
「自分の現在地みたいなものを突きつけられた感じがして、これまでの10年間なんて何も通用しなかったですね。それまでは自分ができる芝居でしたが、イメージも湧かないようなことを求められて、それに挑戦することの面白さや、映画作りの面白さを教えてもらいました。
そこからだと思います。仕事の仕方がどんどんブラッシュアップされて、『自分はこんなこともできるんだ。まだ全然伸び代だらけだった!』と自分に驚かされる、そんな感覚が楽しめるようになったのは」
ーーーこれからも、変化/進化を止めない井浦さんのお芝居から目が離せません。本日はありがとうございました。
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