「お日さま」が照らす3人の関係と季節の儚さ
荒川にとっての「お日さま」は、かつて自分のようにスケートに出会い、目標に向かって努力するタクヤの姿だ。パートナーの五十嵐(若葉竜也)が荒川の私物の入った段ボールを開けているシーンでは、野球グローブが2つ入っていた。恐らく荒川もタクヤと同じように、少年野球をやらされていた。だから、同じ地元で野球にもホッケーにも馴染めず、スケートにやってきたタクヤを応援する気持ちになったのかもしれない。
そして、さくらにとっての「お日さま」は荒川だったのではないだろうか。中学1年のさくらは、コーチである荒川に密かに思いを寄せていた。荒川の気持ちに応えたいから、素人同然の少年とのペアダンスをすることを受け入れたし、その練習にも臨んだ。だからこそ、映画後半で目撃した“ある光景”にショックを受け、その反動であのような態度をとってしまったのではないだろうか。
「お日さま」は足元を照らし、鉛色だった日々を鮮やかにしてくれる。その一方で、隠れたり落ちたりもする。3人がそれぞれを「お日さま視」していて、それぞれを照らし合う関係性だからこそ、この映画はどこまでも眩しく、眩しかったからこそ、雪が溶けたあとのシーンの数々に切なさを感じる。視線の三角関係の均衡が崩れ、彼らの関係性は終わっていく。
春が来て、鳥が囀り、山肌が見え、川がせせらぎ、学ランをきたタクヤは野球バッドらしきものが入ったケースを背負っている。生命が息吹き始める季節の訪れなのに、終盤に映る街の景色はどこか寂しそうに見えた。
雪が降り積もってから溶けるまでの短いひととき、そんな刹那のきらめきや痛みを凝縮したような90分。この映画は「確かにそこにあった季節」を見せてくれる映画だ。
季節といってもそれは春夏秋冬だけではない。恋や練習の日々など、それぞれの「お日さま」に照らされていた時期であり、ベンチに3人横並びで座ってステップを踏みながらカップ麺を啜っていたあの季節は二度と戻らない。その儚さは映画に似たものがある。
エンドロールが終わって映写機からの光が消えて、がらんとした日常が戻ってくる。『ぼくのお日さま』。確かにそこにあった時間として、あまりにも贅沢な一本だった。
(文・前田知礼)
【作品情報】
監督・撮影・脚本・編集:奥 史 山大
主題歌:ハンバート ハンバート「ぼくのお さま」 日
出演:越 敬逹、中希亜良、池松壮亮、若葉也、⻄⻄真歩、潤浩 ほか 山山田
製作:「ぼくのお さま」製作委員会 日
製作幹事:朝 新聞社 日
企画・制作・配給:東京テアトル
共同製作:COMME DES CINÉMAS
制作プロダクション:RIKIプロジェクト
助成:文化庁文化芸術振興費補助 (映画創造活動 援事業)独立行政法人日本芸術文化振興会
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