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映画『デデデデ 後章』原作と全然違う…賛否両論のワケ(6)浅野いにおが“シニカルな天才”である理由とは?

浅野いにお作品初のアニメ化を果たした映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』が公開中。前章に引き続き、浅野いにおフリークであるライターが映画の見どころを徹底解説。本作は面白い? つまらない? 忖度なしレビューをお届け。(文・ジュウ・ショ) 【あらすじ キャスト 声優 考察 解説 評価 レビュー】

※このレビューでは映画のクライマックスについて言及があります。未見の方ご注意ください。
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【著者プロフィール:ジュウ・ショ】

フリーランスとしてサブカル系、アート系Webメディアなどの立ち上げ・運営を経験。コンセプトは「カルチャーを知ると、昨日より作品がおもしろくなる」。美術・文学・アニメ・マンガ・音楽など、堅苦しく書かれがちな話を、深くたのしく伝えていく。→note

さまざまなテーマをシニカルに描く天才・浅野いにお

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』
©浅野いにお小学館DeDeDeDe Committee

前章と後章を振り返って、「デデデデ」はとても複雑なテーマをはらんだ、素晴らしい作品だと思った。

「SF」というジャンル「人類滅亡」という設定において、「右翼と左翼」「原住民と侵略者」という二項対立、「SNS」「LGBTQ」といったアクチュアルなテーマを盛り込んでいる。その中で、「門出や凰蘭たちの友情・恋」というささやかな物語が丁寧に紡がれる。

こうした道具立てを用いて、物語をシニカルに見せるのが浅野節だ。例えば侵略者のフォルムはあまりに可愛らしすぎて恐れることが難しい。二足歩行の小さくてか弱いキャラクターであり、最後の最後を除いて人間に危害を加えない。

そんな中、侵略者擁護派が社会運動を起こすが、これもどこか皮肉っぽく描かれる。そんなマクロな運動が壮大なスケールで描かれる一方、「FPSゲームで遊んでるほうが楽しい」という門出と凰蘭の等身大の感覚も見事にすくい取っている。

作中には女装癖を持つマコトというキャラクターが登場するが、彼のジェンダーに関して周りはまったく気にすることはせず、あっという間に打ち解ける。「意外とみんな気にしてないよ」という軽妙さが良い。

こうしたさまざまなテーマをシニカルに描けるのが、浅野いにおという天才なのである。「SNS構文を使う人」「ソシャゲ課金にハマる人」「堕落した反知性主義の大学生」「テレビで偉そうに語るコメンテーター」などをいじりつつ、社会を別の角度から見る視線を鍛えてくれる。

浅野作品に触れた後、まるで自分が主人公かの如く、街中の人々を斜に構えて見てしまうことがある。もちろんそれが過剰になるとよくないが、ほんのちょっとであっても作品の力で世界の見え方を変えてくれるなんて、素晴らしいことではないだろうか。

さて、劇場アニメ『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』は、前章・後章ともに、浅野節を存分に感じられる仕上がりだ。原作が好きな方はもちろん、まだ読んだことがない方でも楽しめるので、まだの方は是非スクリーンで見ていただきたい。

(文・ジュウ・ショ)

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