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浅野作品に特有の「もやもや感」の魅力

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』
©浅野いにお小学館DeDeDeDe Committee

劇場版に話を戻すと、本作は、以下の結末を迎える。

門出や凰蘭らオカルト研究会のメンバーは合宿で東京から小田原に来ていた。そこで〈母艦〉が爆発し、世界に「*」が蔓延する。しかし〈母艦〉の爆発は、大葉が介入したためエネルギーの総量が減少し、東京を除いて日本の被害は最小限にとどまり、世界は滅亡せずに救われる。

それから16日後、合宿先の小田原に滞在する門出と凰蘭は浜辺に来ていた。そこに負傷した大葉が目を閉じたまま飛来してくる。凰蘭からの呼びかけに大葉が目を開ける。

原作とは違い、何の疑念もなく、ほぼハッピーエンドで物語が終わる。東京に残っていた登場人物の一部は死んでしまっただろうが、門出と凰蘭を含め、主要なメンバーは無事に助かった。

結論、これはこれで美しくまとまったエンディングだった。『デデデデ』は浅野作品のなかでもエンタメ性が高い作品だし、やはりハッピーエンドは大衆の支持を得る上で必須だ。原作と比べると、とてもわかりやすく再構成されていた。

とはいえ、すわりがよすぎて、「あれ、気持ちよすぎるな……」と変な感想を抱いてしまった。筆者がいささかサブカル沼に浸かりすぎているせいか、浅野作品に「もやもや感」を欲する癖がついたのかもしれない。変なパブロフの犬状態である。

正直なことを言えば、やはり原作で描かれたディストピアをアニメーションで見たかった。そして欲張りだが、そのうえで原作との違いを楽しみたかった。この作品の良さは文学性にあると思っているが、映画版ではオチが綺麗すぎて余韻に浸る余地がなかった、というのが率直な感想である。

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