「聞く=他者へと開く」ための実践
では私たちは、この見えない「アクリル板」を前にどのように振る舞えば良いのか。ヒントとなるのが、芸能事務所の社員・高橋と黛の「自分を他者へと開く態度」だろう。
グランピングの説明会のシーンでは、黛が町民に対し、時間が許す限り意見を述べてほしい、と伝える。また、高橋は無理難題を押し付ける芸能事務所に不信感を抱き、再度町に足を運んで匠にアドバイスをもらおうと試みる。
「他者の声を聞く」というテーマは、過去の濱口作品でも重要な役割を担ってきた。例えば、濱口の代表作である『ハッピーアワー』(2015)に先立ち行われたワークショップは、ずばり「聞く」ことをテーマに行われている。ここで引用されているのは、民話採集家で児童文学者の小野和子氏の発言だ。
「ここまでワークショップから映画製作全体を通じて感じるのは『聞く』ということ自体、対話の相手を通じた自分自身への吟味なのだ、ということです。『聞く』ということは自分自身を変革すること、捨てることなんだ、と小野さんは何度も言われました。結局のところ『聞く』こともまた、とても過酷な行為です」(※)
また、『偶然と想像』(2021)公開時のインタビューでは、次のように述べている。
「現実の中で見知らぬ他者が互い開き合うということはなかなか起こらないじゃないですか。でも、聞く側にまわることで、その可能性がものすごく上げられるということなのではないでしょうか。そして、聞きながらその相手が開く瞬間を待つことができたら、いつでもつながれる、とまでは言わないけれど、つながり得る。『聞く』ことはよりよくつながるための数少ない方法の一つだと思います」(※2)
自分を捨てて他者に開くことー。それは、他者への思い込みを捨て、相手のことをよりよく理解するということでもある。高橋と黛は、差し当たりこのスタンスを守ろうとしている。
(※)濱口竜介・野原位・高橋知由『カメラの前で演じること 映画「ハッピーアワー」テキスト集成』左右社、2015年、p.52
(※2)小林英治「映画『偶然と想像』濱口竜介監督インタビュー 実在世界とフィクションの境界と、「聞く」と「開く」の往還からあらわれるもの」『TOKION』、2021年12月17日