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断絶が生み出す中途半端な「悪」

監督の濱口竜介【Getty Image】
濱口竜介監督Getty Images

 ここまでの議論を踏まえ、「悪は存在しない」という映画のタイトルについて、筆者なりに考えてみたい。

 本作に登場する「悪」といえば、芸能事務所による見切り発車のグランピング場建設を皮切りに、高橋と黛の思慮に欠いた発言や、芸能事務所の社員と一切取り合おうとしない坂本の態度などが挙げられるだろう。しかしよくよく考えれば、これらの行動は全て他者に自分を打ち開くことの欠如から来ていることがわかる。

 参考になるのが、芸能事務所の社長・長谷川と、コンサルの堀口の態度だ。長谷川は、助成金が通っていることを口実に、町民とのコンタクトを拒み、コンサルの堀口に至っては、時間がないことを口実にオンライン会議を切り上げようとする(音楽が突然途絶えるゴダール的演出も、この「途絶」を連想させる)。しかし、これらの行為も、長谷川や堀口に悪気があったわけではない。よって、「悪」であるとは言い切れない。

 一方、本作には、一見すると純然たる「悪」と呼ぶべき行為が登場する。それが、ラストで匠が高橋にとる行動だ。「自然そのもの」である匠が繰り出すこの行動は、先に列挙した行動とは大きく性質を異にしている。なぜならそれは純然たる暴力であり、日本の法制度上は、明らかに暴行・傷害罪に問われる行為だからだ。

 ただ、匠のこの行為も、鹿や高橋を守るために身を賭して行った行為だったとすれば、決して「悪」とは言い切れないだろう。だから、本作には「悪は存在しない」のだ。

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