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ゴジラの放射熱線が意味するものとは…? なぜ戦後が舞台? 映画『ゴジラ−1.0』徹底考察&評価。忖度なしガチレビュー

text by ニャンコ

「ゴジラ」の生誕70周年記念作品『ゴジラ−1.0』が公開中だ。監督には『永遠の0』などで知られるヒットメーカー・山崎貴。戦後の日本を舞台に、神木隆之介、浜辺美波の豪華キャストでおくる新生ゴジラは面白い? つまらない? 忖度なしのガチレビューをお届けする。(文・ニャンコ)<あらすじ キャスト 考察 解説 評価 レビュー>

「火事場の馬鹿力」でゴジラに立ち向かう

©2023 TOHO CO., LTD.
©2023 TOHO CO LTD

本作の舞台は、戦後間もない日本である。

戦争により日本の各都市は、空襲や原子爆弾投下により壊滅状態となっており、ポツダム宣言による無条件降伏を行なっているため、つまり日本は全てを失ったゼロの状態なわけである。

また戦後の日本は、敗戦国としてアメリカにより武装解除されている、つまり日本には戦闘力がないという状態でもある。

そして本来頼れる存在であるはずのアメリカはソ連と冷戦中であり、アメリカ軍はゴジラ討伐のために武力参戦出来ない、つまり援軍が一切期待出来ないという絶望的な状況なのである。

こんな絶望的で戦う手段も限られている中、人類はいかにして巨大な敵であるゴジラに立ち向かうのか、それが本作の見所となっている。

これが物質および精神的に豊かな現代社会が舞台だったら、ゴジラがもたらす悲惨さや、それに立ち向かう人類の姿勢が薄れてしまうだろう。

戦後間もない日本、そして絶望的な状況だからこそ、人類が生き抜くための意思がより際立ち、本作に深みをもたらしている。

言い換えるのであれば「火事場の馬鹿力」というやつである。

人類が追い詰められ、「火事場の馬鹿力」でゴジラに立ち向かうとき、想像する以上の奇跡と感動が生まれるのである。

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