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新垣結衣の長台詞がもたらす“至極の映画体験”とは? 映画『違国日記』徹底考察&評価レビュー。瀬田なつき監督の演出を解説

text by 荻野洋一

ヤマシタトモコによる大ヒットコミックを、新垣結衣×早瀬憩のW主演で実写化した映画『違国日記』が公開中だ。監督を務めるのは、『ジオラマボーイ・パノラマガール』(2020)の瀬田なつき。原作の世界観を瑞々しい画面と音響で表現した本作のレビューをお届けする。(文:荻野洋一)【あらすじ キャスト 考察 解説 評価】

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【著者プロフィール:荻野洋一】

映画評論家/番組等の構成演出。早稲田大学政経学部卒。「カイエ・デュ・シネマ」日本版で評論デビュー。「キネマ旬報」「リアルサウンド」「現代ビジネス」「NOBODY」「boidマガジン」「映画芸術」などの媒体で映画評を寄稿する。今年夏ごろに初の単著『ばらばらとなりし花びらの欠片に捧ぐ(仮題)』(リトルモア刊)を上梓する予定で、500ページを超える大冊となる。

「死」からはじまる物語

『違国日記』
Ⓒ2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会

 死は、映画において、なんどもなんども描かれてきた。『違国日記』という映画もまた、死が前提となって物語は始まる。交通事故で両親が急死し、死体解剖があり、葬儀がある。しかしながら、物語の前提でしかなかったはずの葬儀シーンに、予想外のエネルギーが充填されていく展開に、私たち観客は動揺を隠せないだろう。

 通夜、告別式、火葬まで終えたあとの御斎(おとき)の席。両親の乗用車がトラックに激突された瞬間を目撃した中学3年生の少女・田汲朝(たくみ・あさ/早瀬憩)の胸中の叫びが、映画を始動させる。

 「帰れない、帰れない、帰れない、どうしよう、どうしよう」

 口さがない葬儀参列者たちが、会席料理とビールを頬張りながらひそひそと、「向こうの方はどなたも親類がいらっしゃらないの?」「姉妹そろって好きな生き方をして…」「あの子はたらい回し」と噂する。そのノイズの耳元の反響。両親は夫婦別姓を選んだだけのことだろうに、わざわざ「実子じゃないんでしょう?」「それが血はつながってるかもとかって」「かも?」などと反響する俗物どもの集まり。

 「朝!」

 朝の胸中の叫びを制止する、もうひとつの叫び。声の主は、死んだ朝の母・実里(みのり)の妹・高代槙生(こうだい・まきお/新垣結衣)である。実里と槙生の姉妹は若い頃から対立が絶えず、ここ10年以上は絶交状態だったから、朝にとって槙生は幼少期のかすかな記憶にしか存在しない。

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