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観客の加害性を浮き彫りにする…鬼才・吉田恵輔が描く“笑い”はなぜ恐ろしいのか? 映画『ミッシング』徹底考察&評価

text by 前田知礼

主演の石原さとみが吉田恵輔監督作への出演を直談判し、徐々に心を失くしていく母親を熱演した映画『ミッシング』が5月17日より公開。今回は、前作との共通点や本作に隠された「笑い」について、現役放送作家がレビュー解説していく。(文:前田知礼)【あらすじ キャスト 考察 評価 レビュー】 ※吉田監督の「吉」は「つちよし」です。

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【著者プロフィール:前田知礼】

前田 知礼(まえだ とものり)。1998年広島県生まれ。2021年に日本大学芸術学部放送学科を卒業。制作会社での助監督を経て書いたnote「『古畑任三郎vs霜降り明星』の脚本を全部書く」がきっかけで放送作家に。現在はダウ90000、マリマリマリーの構成スタッフとして活動。ドラマ「僕たちの校内放送」(フジテレビ)、「スチブラハウス」、「シカク(『新しい怖い』より)」(CS日テレ)の脚本や、「推しといつまでも」(MBS)の構成を担当。趣味として、Instagramのストーリーズ機能で映画の感想をまとめている。

折り合いをつける『空白』、折り合いのつけられない『ミッシング』

©2024「missing」Film Partners
©2024missingFilm Partners

吉田恵輔監督の前作『空白』(2021)は、娘の死に折り合いを“つける”映画だ。不幸な事故の被害者となった娘の死に向き合う父親(古田新太)をはじめ、様々な人たちがその事故にそれぞれなりの折り合いをつけていく。5月17日公開の最新作『ミッシング』は、『空白』同様に、娘を失った親にまつわる映画だが、今作はそんな折り合いの、“つけられなさ”が描かれていた。

森下沙緒里(石原さとみ)と豊(青木崇高)は、3ヶ月前に行方不明になった娘・美羽を探し続ける夫婦だ。駅前でビラを配って、情報を集めるホームページを立ち上げ、地方局の取材にも協力する彼らが、娘の失踪に対して折り合いをつけられるはずもない。折り合いをつけることは、美羽の無事を諦めることを意味するからだ。しかし、そんな「娘が生きている…かもしれない」という希望めいた状況によって生まれる、折り合いの“つけられなさ”は日に日に両親を苦しめていく。

この映画は、失踪の謎を追うミステリーでも、娘を救出して犯人を突き止めるサスペンスでもない。事件が解決されることも約束されてないので、折り合いが“つけられない”状況のまま物語は進む。吉田監督自身も「初めから終わりまで何も状況が変わらない物語にしよう」と思いながら脚本を書いたと語っている。

我が子の失踪に向き合い続ける夫婦、そして美羽の失踪に責任を感じている沙緒里の弟(森優作)、この事件の特集取材を担当する地方TV局の報道記者(中村倫也)たちの“折り合いのつけられなさ”を見つめたのが、この『ミッシング』なのだ。

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