人間はロボットの機能停止に涙を流せるか
『PLUTO』でもっとも注目したのは、ロボット=人工知能(AI)の描き方である。注目した、というより「気になった」というほうが近いかもしれない。
『PLUTO』の世界では、ロボットも人間と同等の権利があり仕事を持ち夫婦や家族といった社会生活を営んでいる。
本作に登場するロボットたち(性能の差こそあれ)には愛情や慈しみ、そして他者への共感を持つ描写がなんの疑いもなく描かれている。作中で説明されているように、ロボットは人間の模倣をすることで、徐々に“情緒”を獲得するのだ。
なかでも印象的なのは、お茶の水博士が捨てられた犬型ロボットの不憫さに涙を流す場面である。そこで「人間はロボットに対して涙を流すことができるのか」という疑問が頭に浮かんだ。
人間は「死」に対して、身近な関係であれば二度と会えないことへの喪失感、死んでしまった人への悲しさ、無念さに共感するなどして心に哀しみが溢れるものである。
そこで『PLUTO』では、ロボットは破壊され機能停止となると人間でいうところの「死」となるが、しかしロボットなのである。破壊されてもそれまでの記憶(メモリー)は完全に消えることはないのではないかと思うのだ。
手塚治虫が「鉄腕アトム」を描いていた時代では単なる空想で済んでいた人間とロボットの関係性は、AIが人間の活動の様々な分野に広がってきた現在においてはことさら大きな意味を持つようになってきている。