作品を貫く“はく製”のモチーフの意味〜映像の魅力
「サスペンス映画では、観客をできるだけ苦しませなさい」。かつてそう語ったと言われているヒッチコック。本作では、映像でも、“観客を苦しませる術”がふんだんに盛り込まれている。
例えば、4万ドルを横領した男のもとへと車で向かうシーン。頭の中で、横領事件発覚後に発するであろう関係者の言葉がぐるぐると巡る。緊迫する彼女の顔のアップと交互に挿入されるフロントミラーの風景、そして降り頻る豪雨のシャワーが切迫感を掻き立て、彼女がもう後戻りできないことを暗示する。
また、ノーマンの部屋の中で、ノーマンとマリオンが会話するシーンでは、部屋中に飾られた鳥のはく製がマリオンを狙っている。例えば、ノーマンの背後には翼を大きく広げたはく製が、そして立ち上がったマリオンにはカラスの製がクチバシを向けている。実に暗示的なシーンである。
なお、このはく製は、本作では極めて重要な意味を持たせられている。例えば、ノーマンは、母親という存在を、女装することによって纏う。また、ノーマンの母の遺体は、ノーマンが服を着せることで、生を装う。この構造は、動物の遺体にワタを詰め、生時の体型を保ったまま標本化するはく製と似た関係にある。
この関係性がはっきりと露呈するのが、ノーマンの独房でのカットだろう。彼は、“母として”息子を諭し、カメラ目線でにっこりと笑う。その後、沼に沈んだマリオンの車を引き上げるカットにゆっくり移り変わっていくのだが、ここで一瞬、亡き母の頭蓋骨がオーバーラップするのである。
生命あるものをモノとして描写し、モノを生命あるものとして描写するー。この演出には、そんなヒッチコックの思惑が透けて見える。そしてそれは、モノに命を吹き込むという、映像というメディアの力でもある。