「雑念がどんどん削ぎ落とされて…」
名優・長塚京三の背中
―――現場での吉田監督の演出はいかがでしたか?
「大八監督はまず最初に役者にやらせてみるんです。それが大八監督の思い描くものからそれほど逸脱していなければ、生かしてもらえる。その中でも、些細な動きだったり、ちょっとしたタイミングがとても重要で。それは監督が思い描く間の場合もあれば、カメラワークに関する技術的な問題の場合もあるのですけど。とにかく細かいタイミングの調整を何回も繰り返す、ということがありました。例えば、帰宅した信子がダイニングでお茶を飲むシーンで大八監督から言われたのは「横にある調味料セットを動かしてください」という一言。あの調味料を動かすタイミングをとてもこだわられて、細かく調整しました」
―――調味料セットを動かす身振りはとても些細なものですが、儀助は一生懸命話してるのに、信子の関心は違うところにあるという、生者と死者のすれ違いがさりげなく表現されていると思いました。黒沢さんのアイデアなのではないかと思いながら見ていたのですが…。
「違うんですよ。私も「いきなりこれをなぜ動かす?」と考えはしましたが、監督に訊きはしなかったですね。理由を訊くよりも、手順をちゃんと踏むっていうことを意識した方がいいなと。グッと力を入れすぎるのも違うし、さらっとしすぎるのも違う。その真ん中を探る作業でした」
―――長塚京三さんと共演されるのは今回が初めてですか?
「そうですね、昔とあるテレビドラマでご一緒したことはあるんですが、お顔を合わせたことはなかったんです。当時から、いつか長塚さんとご一緒したいと願い続けて、10年以上経ってようやく叶いました」
―――今回、本格的にご共演されて、役者として啓発される部分はありましたか?
「居間でのシーンでは、夫婦ですから、隣に座らせていただくんですけど、大八監督が思い描く役に近づくために、長塚さんも、私たちと同じように監督からアドバイスされるんです。それを見て、とても心強くなりました。あの長塚さんでも、儀助になるために、あるいは監督の世界にマッチするために、懸命に役に取り組まれている。後輩である私はもっともっと頑張らないといけないと思って」
―――「役者はこうあるべし」という形を具体的な言葉ではなく姿勢で発していらっしゃったのですね。
「そうなんです。横に座っていると、長塚さんから私に伝わってくる空気がどんどん澄んでいって、綺麗になっていくんです。そのおかげで、自分の中にある「上手く演じよう」とか「監督の思いに応えよう」という雑念がどんどん削ぎ落とされていきました。そういう不思議な感覚をもたらしてくれたのが、長塚さんであり、大八監督の演出であった。今振り返るとそういう風に思います」