「自分のスタイルを持っていないと生き残るのは難しい」
多様な物語を1つの作品に凝縮するスタイルについて
―――――本作では生い茂る緑も印象的です。生命の象徴のような形で樹木が描かれていて、大江健三郎のいくつかの小説を想起しました。
「舞台となった佐賀県には、大楠が沢山あって、巨大で神々しくて。そういったものを見ていると、大江健三郎が描いた四国の森に想いを馳せたくなります。ちなみに本作は、元々佐賀で撮る予定ではなかったのですが、縁があってシナハンをさせていただくことになり、色々なところを見て回った結果、『ここに合わせて書いた方が良いのではないか』という気持ちになりました。場所の力に背中を押されて生み出した物語でもあるんです」
―――――本作には、複数のモチーフが一本の映画に凝縮されていますね。
「私はガルシア・マルケスやバルガス・リョサといった南米文学にも影響を受けていまして、当初のシナリオでは登場人物がもっと多かったんですよ。プロデューサー陣は、初稿を気に入ってくださったのですが、普通に撮ったら4時間を超えるような分量があり、現実的に考えて、『要素を絞ろう』ということになりました。絞りに絞って、現在のような形になったのです」
―――――現在、日本で活動中の映画作家は沢山いますが、これほど多様な要素を一本の映画に取り込んで、壮大な景色を描こうとする監督は少ないのではないでしょうか。このスタイルはご自身が強い意志で選択されたものなのでしょうか?
「そうですね。自分のスタイルを持っていないと、今後、映画作家として生き残るのは厳しいと思っていまして。あまり他の人がやっていないことをやろうと思っています。
他方で、『まともじゃないのは君も一緒』の前田弘二監督や今泉力哉監督がお撮りになる群像劇、ホン・サンス監督の作品も好きですし、同時代の映画作家に対する尊敬や受けた影響も大きく、それを自分なりに昇華して、映画作りに活かしたいと思っています」
―――当初のシナリオから削られた部分も気になります。
「響子の友人の出番がもっと多かったですし、どうにもならない天候とか、自然の力によって響子が故郷である佐賀の自然に引き寄せられる感覚をもっとシナリオに入れていたんですよ。
あとは、完成した作品だと、空想的な要素は響子が森の中を彷徨うシーンに絞られていますが、最初のシナリオには杏奈の夢のシーンもあり、両者が夢の中で繋がっていくという要素もありました」