「理屈をつけていくと面白くなくなっちゃう」
光子というキャラクターの両義性について
―――光子は夫婦の関係を破壊する存在であると同時に、子どものことなど、夫婦がそれまで曖昧にしてきた問題を直視させる存在でもありますね。これは原作には無い要素だと思いました。井土監督はどのような思いで光子というキャラクターを造形されたのでしょうか?
井土「流石です(笑)。現代映画の基本ですよね。つまり、元々ある関係の歪みが、新しい人物と関わることによって明るみに出る。それで決裂していくこともあるだろうし、膿が出て、もう一度関係が修復されることもあるでしょう。現代映画の作劇のフォーマットを、夫婦と光子の関係に落とし込むといった脚本の作り方になっています」
―――光子は両義的な存在だなと思いました。
井土「破壊神だけど再生もさせているってことですよね。まあ、疲れた再生ですけどね。園子と孝太郎の夫婦が2人で旅行に行くシーンとかは、疲れているのだけど、それでも何とかもう一回、前を向こうとする。でも、じつは孝太郎の方は新たな火種を抱えているのですが」
新藤「光子は多分、壊してやろうという気持ちは無いと思うんです。彼女は自分の生きたいように、天真爛漫に振舞っているように見えるのだけど、どこかで何かを探している。はた目からは、どこか宙に浮いていて、特にやりたいこともないし、適当に生きているように見えるけど、芯のある、地に足着いた園子さんに心から憧れていて、こんな人に本当は自分もなりたかったって思っている。
光子はあるべき自分を見つけるためにがむしゃらで、その気持ちが園子と孝太郎の夫婦関係に影響を及ぼしたと思っていて…。うーん、とても難しいですけど、とにかくわざとじゃないんです(笑)」
―――計算でやっているのではなく、本能でやっているということは観ていてしっかり伝わりました。光子のキャラクターについて、井土監督と新藤さんはすり合わせをされましたか?
井土「まあ、多少はしました。でもね、やっぱりこの手のファム・ファタールものをやるときに、一番難しいことって、俳優さんが内面化しなきゃいけないじゃないですか、演じるキャラクターを。そうすると、実はつまんなくなってくるというジレンマがあって。
例えば、『ジョーカー』(2019)だってそうだし、レクター博士でもいいのですが、『この人にはこういうトラウマがあったから、こういうキャラクターになりました』って説明された途端に白けてしまう。理には適っている、腑には落ちる、だけどなぜだか面白味に欠けるというね。なるべく、そうしたくないなとはいつも思っていて。
だからそこの部分を、腑に落ちなくても、ふっと感覚で体現してくれるという点において、やっぱり新藤さんは凄い。役者として傑出しているなと思いましたね。理屈をつけていくと面白くなくなっちゃうので。そこは実はすごく大事なところですよね。特に、谷崎みたいなものをやろうっていう時は。『こういう女なのだ』っていう風に言ってしまうと違うものになってしまいますから」
―――では、井土監督からの演出は問いかけに近いものだったのでしょうか?
新藤「そうですね。例えばベッドシーンとかで、『こういう流れでベッドに行こう』っていう段取りはしっかり教えてくださるんですけど、その時の感情とか表情なんかの具体的な演出みたいなものはそんなに無くて。なので、自分でも『この感情でいいのかな』って思うときがあったんですけど、基本的には現場で感じた気持ちとか、表現を大事に演じることを心がけました」
小原「私も『園子がどういう人間なのか』というコンセプトの部分はしっかり話し合ったのですけど、現場では、その瞬間に生まれる気持ちを大切にして、動きながら軌道修正をしていただくっていう感じで、お芝居をさせていただきましたね」