「子供は乾く前のセメントみたいなんです。
落とした物の形がそのまま跡になって残る」
今回のテーマは「犬神家の一族」ならぬ「狩集の一族」による遺産相続問題である。
祖父・狩集幸長が遺した遺言に、「あるべきものをあるべき所へ、過不足なくせよ」という謎のメッセージが記載されており、1人1つずつ蔵が割り当てられる。その蔵にあるべきものが何なのか。そして蔵にある物を何処に持っていくのかを巡るストーリーとなっている。
幸長の孫・礼音(萩原利久)は、同じく幸長の孫であり、遺産相続のライバルである赤峰ゆら(柴咲コウ)の娘に母親の蔵はどのような感じだったかを尋ねる。このとき礼音に悪気はなく、あくまで雑談気分であった。そんな礼音に対し久能が言い放ったセリフが「子供は乾く前のセメントみたいなんです。落とした物の形がそのまま跡になって残る」である。
成長中の子供は、周囲の人々の言動や行動を、見て、聞いて、吸収して成長していく。乾く前のセメントとは、そんな成長中の子供のピュアな心。そんな柔らかな心に恐ろしい体験や裏切られた悲しみなどの石を落とされたら、やがてセメントは固まり、永遠に消えない傷跡が残ってしまう。
この子どもが、自分のせいで母親が不利になってしまったのだと、物心ついた頃に後悔して自分を責めてしまうかもしれないということを指摘し、同時に子どもの素直な心を悪気なく巻き込まないよう礼音へ忠告した。
また、映画のヒロインの汐路はまだ10代。しかし、狩集一族の呪われた血筋、8歳の頃の遺産相続で、死人が出ていること、そこに自分の父親も含まれていたこと、すでに石が落とされている。
幼少期、祖父から「殺し合う一族なのだ」と言われたことも忘れていない。だから謎が多い父の死を関連づけてしまうのだ。
後述しているが、久能は幼い汐路にそのような重い石を落とした彼女の祖父に静かに怒りを覚える。でも幸い彼女はまだ若く、セメントが柔らかいため、修復は可能であると原作で久能は語っている。