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「弱くて当たり前だと誰もが思えたらいい」

俳優の菅田将暉
菅田将暉写真getty images

狩集一族の数々の謎に翻弄され、心のセメントに形ができてしまった汐路に対し、カウセリングを受けることを勧め「人間は弱いから」と語る久能。

しかしそれに、「私はどこもおかしくないよ」とカウンセリングに対し抵抗がある汐路へ、アメリカの刑事ドラマを例に出し「殺人事件などに関わった者はカウセリングでOKが出ないと現場復帰できない仕組みになっている。

人間が弱く壊れやすいことがわかっているから」と、アメリカでカウセリングが普及している理由と、それが普通だと言うことをわかりやすく伝える。

弱いことを認めない。弱いことは負け、壊れないことが正しい」と。でもそれは間違っていると久能は言う。自分の弱さを受け入れることが普通だという社会が必要だと彼は考えている。

「弱くて当たり前だと誰もが思えたらいいのに」という名言は、そうすれば弱いところを治そうと思える。弱った心を認めて上げることができるという彼の思いがつまっているのではないか。

この言葉は、我慢を強いる日本社会への警鐘かもしれない。

先述した通り原作では、「セメントは固まる前に直すことができる。」と自分が言ったことに対し、もし跡になってしまった後にどうすれば良いのかの解決策を、前向きに解釈できるような言葉をかけるのだ。

このように、菅田が演じる久能整という人物の台詞は、生きにくい現代人の真理に迫っている。本作の台詞を心の片隅に置いておくだけで、鑑賞後はほんの少し心が軽くなっていること間違いない。

(文・斎藤香)

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