ひとりぼっちであり続ける宮田ー配役の魅力
自分が「ひとりぼっちじゃない」ことに気づいた真紀に対して、最後の最後まで「ひとりぼっち」であることに気づかない人間がいる。それが、主人公の宮田だ。彼は、身の周りでさまざまなことが起こり続けながらも、それらに一切気づかない。なぜ気づかないのか。それは、神田が本作のラストで神田が言う通り、宮田があまりにも純粋無垢で、他人の言うことをそのまま鵜呑みにするからだ。
しかし宮田は、その鈍感さゆえに、最後まで悲劇に巻き込まれることはもなければ、気持ちが変わることもない。宮田は、本作の特異点として、最後まで宮田であり続ける。
そんな宮田を演じるのは、『サラリーマンNEO』などで知られる俳優、中村靖日だ。色白で線が細く、裏表がなくフラットな印象の中村の佇まいは、宮田にぴったりだと言えるだろう。
また、桑田役の霧島れいかや神田役の山中聡、倉田役の板谷由夏も、少しぎこちないながらもコミカルな役を演じきっている。
とはいえ、気になる部分もないわけではない。特に気になるのは「ヤクザ」の描写、より具体的には、浅井の心理描写だ。作中で浅井は、まず見栄を張るためにわざわざ普通の紙で札束をかさ増しし、あたかも大金であるかのように見せている。面白い演出だが、正直少しヤクザを戯画化し過ぎているようにも感じられる。
そして極め付けは、浅井が札束の回収を試みるシーンだろう。札束が宮田のもとにあることを知った浅井は、なんとわざわざ宮田の家に潜入する。普通のヤクザであればこんなことは絶対にあり得ないだろう。
「ヤクザ」というのは、そのアクの強さから、しはしば戯画化されやすい題材ではある。しかし、本作では、浅井役の山本規介の演技や風貌も相まって、少し戯画化されすぎており、鼻白む人もいることだろう。