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笑いのカイブツ・ツチヤタカユキ

©︎2023「笑いのカイブツ」製作委員会
©︎2023笑いのカイブツ製作委員会

この映画の原作は、ツチヤタカユキ本人による私小説『笑いのカイブツ』だ。そして、ツチヤのことはWのエッセイにも「人間関係不得意のT君」として登場する。ツチヤとT君は同一人物だが、その印象はまるで違う。

本人視点で語られるツチヤは、笑いに取り憑かれたカイブツなのに対して、W視点のツチヤは社会に馴染めず怯えている孤独なカイブツとして語られている。そして、第三者である滝本憲吾監督視点の「カイブツ」が、この映画では描かれている。

笑いに狂ったカイブツ・ツチヤと人間関係不得意のT君、才能に秀でたツチヤとコミュニケーション能力が劣るT君。まずは、そんな2つのツチヤを紐解いていきたい。

まずは原作のツチヤ。原作の文庫本の帯には「笑いに取り憑かれた”伝説のハガキ職人”による心臓をぶっ叩く青春私小説」の文字が踊る。映画では、この「取り憑かれた描写」が見事だった。

その「取り憑かれ」は、視聴者参加型大喜利番組「デジタル大喜利」での初採用、藤井隆演じるMCに「大阪府、アレマ侯爵の作品です」と名前を読み上げられた瞬間から始まる。

採用という何者にも代えがたい快感を覚えたツチヤは、「1日に2000個ボケを生産する」という目標を掲げ、起きている時間の全てをネタの生産に捧げる。その結果、フランス料理の皿洗いのバイトでは、白い皿に大量のボケがこびりついて見え、体験入店で働くホストクラブでは客との会話さえも大喜利のお題に見えてしまう。

まるで、眼に映るもの全てがネタに見えてしまう、ツチヤの「病」を追体験しているようで、映画館から逃げ出したくなった。彼の情熱は執念に変わり、さらに呪いめいたものに変貌。引き籠りのフリーターは、やがて「カイブツ」へと姿を変えていく。

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