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人間と怪物、父と殺人鬼の混血的な存在に

©2024 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED
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 手錠をかけられて家の外に出た彼は、向かって左側、庭先に転がっていた子供用の自転車を直そうとする。例によってカメラは、最後に父親らしい行動をとる彼を左から捉える。だが、問題なのはこの後だ。

 自転車と同じくハートネットから見て左側の沿道に止まったパトカーから出てきた娘ライリーは、連行されんとする父を発見すると、すぐに彼の元に駆け寄る。カメラははじめ、二人が抱き合う様子を父親の左半身とともに捉えるが、そのショットに続いて、同じ二人を今度は父親の右半身とともに捉えたショットが連鎖させられる。

 このルール違反は何を意味するのか。映画の結末部もまた、同様の問題を提起している。護送車内の彼は、おもむろにシャツの右袖から左手で針金を引き出し、すぐさま手錠の鍵を開けてしまう。これまたある意味で『サイコ』のラストシーンの変奏にもなっている、最後に正面から捉えられるハートネットの満面の笑みは、果たしてクーパーのものなのか、それともブッチャーのものなのか。

 おそらくは、そのどちらでもないのだろう。娘との抱擁、手錠の鍵開けをいずれも左右の対立を無視して撮影したカメラが何よりも雄弁に物語っているように、幻の母の声を聞いて「目覚めた」彼は、人間と怪物、父と殺人鬼の側面をともに保持する新たな、こう言ってよければ混血の存在となったのだ。

 声による目覚めという点では最初期からの作風を維持しつつも、目覚めた先が善悪の彼岸に到達してしまっている点において、『トラップ』はシャマランがこれ以降親バカ期を超えて新たなフェイズに突入していくきっかけとなる作品として、後々振り返られることになるのではないか。これまでになく予想のつかないシャマランの次の一手を、ライヴ開始前のライリーのような気持ちで待ち続けたい。

(文・冨塚亮平)

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【了】

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