知的障害を抱えた父の愛に涙する感動作
『アイ・アム・サム』(2001)
監督:ジェシー・ネルソン
脚本:クリスティン・ジョンソン、ジェシー・ネルソン
出演:ショーン・ペン、ミシェル・ファイファー、ダイアン・ウィースト、ダコタ・ファニング、ローラ・ダーン
【作品内容】
知的障害により、7歳の子どもと同等の知能しか持たないサム(ショーン・ペン)。
彼は、宿無しの女性レベッカとの間に生まれた女の子をルーシー・ダイヤモンドと名付ける。そして、コーヒーショップで働きながら育てようとする。
しかし、ソーシャルワーカーに娘を取り上げられてしまう。困ったサムは、敏腕女性弁護士リタ(ミシェル・ファイファー)に助けを求めることになって。
【注目ポイント】
知的障害のハンデを背負いながら、自分の子供に精一杯の愛情を注ごうと奮闘するパパ、サムの姿がすがすがしく描かれている本作。
筆者が特に注目するシーンは、裁判所でルーシーの養育権が里親にあると相手の弁護士が主張するシーンだ。
「ルーシーが自分の知能より上の年齢になっていく時、どう育てるのか?」
サムは答える。
「僕にはずっと考えてきたことがある。ルーシーにとっていい親になるには、どうすればいいかと。その答えは不変だ。忍耐強いこと、話をよく聞くこと、たとえ内容が分からなくても聞いたふりをすること。それから、愛することだ」
サムは、親として当たり前のことを主張しているだけなのだ。そこには障害者も健常者もない。なんとしてもルーシーの父親であろうとするサムの強い意志が表れたシーンである。
結局、サムはルーシーの親権を勝ち取ることになるのだが、それだけで物語は終わらない。詳しい説明はないが、弁護士のリタ、里親、仲間たちの助けを借りながら、サムがルーシーと暮らしている姿を想像させるシーンで物語は終わるのである。
障害を抱える男による子育ての一つの答えを示す最後と言えるだろう。
ちなみに本作では、同じく子どもの親権をテーマにした映画『クレイマー、クレイマー』の台詞を引用するシーンがあるので注目してもらいたい。