「痛みのグラデーション」とコミニュケーションの重要性

©2024 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.
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 タイトル『リアル・ペイン』の「ペイン(pain)」は、「痛み」という意味だけでなく、面倒な物事や人を指すときにも使われる。デヴィッドにとって真反対のベンジーは、まさに面倒かつ厄介な人物である。また、自分にはない魅力を持ち、周囲の人を惹きつけるベンジーに対して、憤りや羨望といった想いを抱いている。

 本作は、ベンジーを見るデヴィッドの視線と両者の表情、そこに含まれるいくつもの感情の流れを追っていく。そして、デヴィッドたちの旅を通じて、単語の本来の意味である「痛み」についての問いへと誘うのだ。

 この映画では、個々人の心の痛みから肉体的な痛み、歴史的、集合的な痛みまで、痛みのグラデーションが提示され、考えることを余儀なくされる。

 デヴィッドは、不安障害を抱えている。ツアー参加者のマーサ(ジェニファー・グレイ)は離婚による孤独に苦しんでおり、エロージュ(カート・エジアイアワン)はルワンダ内戦の生存者である。自ら話すことはないが、ベンジーは深刻なうつ病だと思われる。そんなツアー客たちは、ときには痛みを共有しながら、第二次世界大戦の歴史に触れていくが、マイダネク強制収容所では言葉を失ってしまう。

 デヴィッドは、ベンジーと自らを比較して悩むこと自体の抵抗感を吐露するが、それは観客に突きつけられた問いでもあるだろう。より深刻な悩みを持つ人々を前にして、歴史的な悲劇を前にして、その痛みは本物と言えるのか。

 はっきりとした答えは出ないが、本作は、それぞれの痛みが異なること、他者の痛みを想像しても限界があること、同じものを見ていてもそれぞれの想いはズレること、それでいてコミュニケーションをとり続けることの重要性などへと、思考の広がりを促す。

 それを端的に表したのが、石を置く行為だ。デヴィッドとベンジーにとっては、その土地で生きた人たちの歴史や痛み、祖母の人生と通じ合うための石だったが、ポーランドに住む老人には、転んで怪我をする可能性のあるものであり、その懸念をぶつけられる。ポーランド語を話せない2人には最初老人の言うことが理解できないが、その息子が通訳することで納得する。このシーンは、それぞれの痛みと想像力の違い、そしてコミュニケーションの重要性を示していると言えるだろう。

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