自意識に悩む登場人物たちが愛おしい

映画『早乙女カナコの場合は』
©2015 柚木麻子/祥伝社 ©2024「早乙女カナコの場合は」製作委員会

 移り変わっていく四季の景色とは裏腹に、映像のなかでは大人になっても変えられない自意識に苛まれる登場人物たちが映し出されていた。

カナコは居酒屋でも、自分より巻き髪が似合う麻衣子が長津田と仲良くしているのを見るや否や、せっかく親友の三千子(根矢涼香)がセットしてくれた巻き髪を後ろで束ねてしまう。男勝りだと周りから囃し立てられることで、なおさらそのイメージを振り払うことに抵抗を感じる。

 対して長津田は、映画の謳い文句でも書かれているとおり「バカ」なのだろう。後輩としてサークルに入部する麻衣子に「覚えていますか」と問われたとき、絶対に覚えていないのに真顔で「もちろん」と返すところが象徴的だった。

 しかし、長津田は長津田で、自らがプレゼントするはずだったペアリングをカナコから渡されたとき、不貞腐れながらも「でも、良いよなこれ」と呟いてカナコの指にリングを嵌める。バカはバカでも憎みきれなくて、やっぱり愛おしく思えてしまう。

 自意識に悩むのはカナコや長津田だけではない。高校時代の素朴なイメージを払拭するメイクで自身を着飾る麻衣子や、洋一の元恋人で、これまで順風満帆に進んでいた人生設計が白紙になって途方に暮れる亜依子(臼田あさ美)もまた、どうにかして今までの自意識から脱却しようと躍起になる。

 さまざまな人物の目線で描かれる群像劇だからこそ、それぞれが抱える不安や心の揺らぎと自分自身が重なる瞬間を目にして、いつのまにやら他人事に思えなくなるのかもしれない。

1 2 3 4 5 6
error: Content is protected !!