世界は墓で始まり、墓で終わる。映画『ミゼリコルディア』評価&考察レビュー。鬼才アラン・ギロディの演出を徹底解説
1964年生まれのフランスの映画作家、アラン・ギロディの最新作『ミゼリコルディア』がシアター・イメージフォーラムで公開中だ。2024年のカイエ・デュ・シネマ誌のベストテン第1位に選出された本作。魅力を解説する。(文・荻野洋一)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】
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【著者プロフィール:荻野洋一】
映画評論家/番組等の構成演出。早稲田大学政経学部卒。映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」で評論デビュー。「キネマ旬報」「リアルサウンド」「現代ビジネス」「NOBODY」「boid マガジン」「映画芸術」などの媒体で映画評を寄稿する。7月末に初の単著『ばらばらとなりし花びらの欠片に捧ぐ』(リトルモア刊)を上梓。この本はなんと600ページ超の大冊となった。
ゴシックホラーを思わせる不穏な幕開け
いま、1台の車が南フランスの街道を走っている。走行音にまぎれて陰鬱なドローンサウンドが不穏な雰囲気をかもし、まるで『シャイニング』(1980)か、古くは『アッシャー家の末裔』(1928)のようなゴシックホラーが始まりそうだ。運転席からの主観ショットは幹線道路からやがて、被昇天教会の鐘塔が目印となる村落へと入っていき、狭い路地をくねくねと進んでいく。ここで初めてカメラは主観ショットによる車窓風景をあきらめて、主人公らしき男の横顔をとらえる。苦み走った、それなりの美男子である。30代後半ごろだろうか。少しアラン・ドロン、かなりジョン・ハート(リチャード・フライシャー監督『10番街の殺人』(1971)のころの)。
村落の路地を分け入ってきた車は、「パンと菓子」とフランス語で書かれた看板の前で停車する。男がドアをノックすると、女が出てきて「ジェレミー、来てくれたのね。会えてうれしい」と礼を言いながら、ジェレミーと呼ばれる旅人のジャケットの襟を直してやったりしている。「店長が好きでしたから」と答えたジェレミー(フェリックス・キシル)は、パン屋の家屋部分らしき応接間に通される。どうやらこの家では「店長」と呼ばれるあるじが亡くなったばかりで、葬式を控えているらしいことがわかる。ジェレミーはかつてこのパン屋で修業し、あるじ夫婦からずいぶんと可愛がられていたにちがいない。
村のはずれの墓地で、フィリップ神父(ジャック・ドゥヴレ)の祈禱によりパン屋のあるじの葬式がおこなわれる。フィリップ神父の親密な祈禱、故人への感謝の表明が心なしか過剰に思えるが、どうせ狭い田舎ゆえのことだろう、とここはいったん観客の誰もが納得しておく形となる。ところが、どうもこのパン屋を中心とする人間関係がきな臭い。過去にさまざまな感情が乱れ飛んだ残滓が感じられる。