再来する欲望のマグマ
葬式のあと、夕食を済ませた一同は解散となり、ジェレミーも辞去しかけるが、故人の妻マルティーヌ(カトリーヌ・フロ)が引き留めて離さない。結局ジェレミーは、結婚して家を出た一人息子ヴァンサン(ジャン=バティスト・デュラン)の部屋で寝ることになったが、ベッドメイクをしてやりながらもヴァンサンはおもしろくない。「なんで母さんとこいつが一つ屋根の下で水入らず、一夜を過ごすのか? こいつと俺は幼なじみだったし、パン屋の従業員として可愛がられていたのはわかっているが、それにしても図々しさは昔と変わらないな」というのがヴァンサンの心境だろう。そしてあいにくなことに、この映画は、ヴァンサンの危惧と苛立ちのとおりに進行していくのだ。
その危惧の正体は一言で言えば、欲望の再燃である。ジェレミーがオクシタン地方のこの地味な村を離れ、フランス南西部の中心都市トゥールーズに転居したことによって鎮火していた、かつてこの一家を中心に浮き沈みしていた欲望のマグマが、再びこの地へと、彼らの元へと、再来してしまったのだ。ジェレミーはこの村に戻ったことによって、しばらく忘れていた自身の鵺的な性質を取り戻す。彼はみんなを愛し、彼もまたみんなに愛されている。そして恨まれてもいる。なぜなら、ジェレミーの欲望とは、みんなの心をかき乱し、もてあそぶことだからだ。
アラン・ギロディ監督の代表作にして最高傑作『湖の見知らぬ男』(2013)は、ゲイのハッテン場である湖畔を舞台とするスリラーで、陽光のもとでペニスというペニスが画面を彩って観客の度肝を抜いた。だからといってギロディをゲイフィルムの映画作家だと決めつけることはできない。もちろんゲイとしてのセクシュアリティがギロディ映画の中心線に走っているのはまちがいないが、時にそれがジェンダーレスに振れ、時にエイジレスに振れ、時にその混合にもなる。
ジェレミーとマルティーヌのあいだに育まれた恋愛感情は、マルティーヌの夫(パン屋のあるじ)との潜在的な三角関係であったと同時に、夫とジェレミーの同性愛に対するマルティーヌの事後的な復讐としての要素もあるだろうし、また、擬似的な母子相姦としての要素もある。前言を一部だけ翻すが、ジェレミーのパンセクシュアリティ的欲望は鵺ではない。彼の鵺的部分は、それとは別の心室から発せられていることを明言しなければならない。