夜の森と寝室――人間の弱点をコソコソと攻めるアラン・ギロディの演出

© 2024 CG Cinéma / Scala Films / Arte France Cinéma / Andergraun Films / Rosa Filmes
© 2024 CG Cinéma / Scala Films / Arte France Cinéma / Andergraun Films / Rosa Filmes

 映画『ミゼリコルディア』は墓で始まり、墓で終わる。パン屋のあるじの死によって、眠っていたあらゆる欲望が起床してしまい、ついには衝動殺人にまで発展してしまう。エディプス・コンプレックスのヴァリエーション的構図となっているが、この点は詳述を控えたい。そして映画は、墓で終わる。殺された者もちゃんと埋葬されなければならない。原題のMiséricorde(ミゼリコルド)とは「慈悲」という意味で、愛の力がすべてに勝つというのがこの映画の展開であり、道徳、法律、罪悪、戒律といった基準のすべてを投げ打って、「慈悲」が無慈悲に実行されていく。そのさまはすでに狂気である。悪魔の所業である。またMiséricordeは、中世ヨーロッパで瀕死の重傷を負って苦しむ仲間の騎士を楽にしてやるためにとどめの一撃で使われた細剣の名前でもある。

 一見すると、これといって冴えたところのない村を舞台とするミニマルなこの映画を悪魔的/魅惑的にしているのは、外に対しては夜への偏愛、森への偏愛であり、内に対しては他者の出入り自由な寝室である。すっかりパン屋の2階に住み着いてしまったジェレミーが悪夢にうなされていると、ありとあらゆる部外者が彼の寝室に侵入し、彼の寝姿を確かめに来る。マルティーヌは同居者であり相思相愛だからまだいいとして、嫉妬に狂った一人息子のヴァンサンが闖入し、さらには警察官までが万能鍵で家宅侵入してジェレミーの寝込みを襲う。人間の弱点をコソコソと攻めてくるアラン・ギロディの演出は常軌を逸しており、画面を眺める私たち観客まで、痛くもない腹をさぐられ、後ろめたい過去を細剣でえぐられていく感覚がある。

 そして森におけるキノコ狩り。映画の日本語字幕ではセップ茸、モリーユ茸とフランス語での呼び名で表されるが、セップ茸は日本ではイタリアンの食材として人気のある「ポルチーニ」のことであり、モリーユ茸は正統的な中国料理店でコースを注文すると前菜スープの具材としてよく入ってくる「編笠茸」のことである。どちらも形状はややグロテスクで毒キノコめいているが、高級食材として名高い。

 さしてキノコ狩りに興味を示さなかったジェレミーが、突如としてある場所でセップ茸、モリーユ茸を次々と収穫し始める。その箇所には菌類が育つ良好な腐植土が醸成されたのだろうか。警察官がわざわざ森までジェレミーを訪ねてきて、「モリーユ茸が秋に穫れるのはおかしい」と疑惑の目を向ける。ちなみに「編笠茸」の旬は、キノコとしては意外なことに春である。

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