ディランの変化を表現する「歌」と「詩」
1961年、ミネソタからニューヨークを目指して無名の青年ロバート・アレン・ジマーマンがヒッチハイクで乗り込んだ車から、1965年にスターとなったボブ・ディランがニューポート・フォークフェスティヴァルの会場を脱出しウディ・ガスリーの病室を訪ね、再びそこから路上へと戻っていくバイクに至るまで、映画は転がる石のようにアメリカの路上で一人の男を乗せて回転し続ける車輪の動きを追い続ける。
ジマーマンは、はじめてガスリーと対面した病室でピート・シーガー(エドワード・ノートン)から名前を聞かれ、ディランと名乗る。男からカミーユという別の名前で呼ばれることで自らを変化させていったシャルロッテとは逆に、彼は自ら新たなペルソナを身にまとうことで歌手としての第一歩を踏み出す。
ジマーマンからディランへと変わることで、彼はより良い自己を発見したのではないか。フォーク歌手として次第に認められていく彼の姿からはそんな疑問が生まれてもくるだろう。64年、二度目のニューポート・フォークフェスティヴァルに参加したディランは、満員の観客を前に「時代は変わる The Times They Are A-Changing」を唄う。一つになったように熱狂するオーディエンスを眺めながら、シーガーらはついにフォークの時代がやってきたと歓喜する。
しかし広く知られる通り、周囲の喧騒をよそにディラン自身は新世代プロテスト・フォークの旗手としての立場に甘んじようとはしなかった。エレキギターを手にし、露店で見つけたおもちゃの笛までも活用し、バンド編成で新曲を量産するディランは、次第にフォークというジャンルを逸脱してゆく。
そして翌年、三度目のフェスティバルの会場でディランは、イベントを主催するシーガーら先輩ミュージシャンたち、さらには観客の期待を無視して、エレキギター、バンド編成での演奏を強行する。
「ライク・ア・ローリング・ストーン」に観客たちが戸惑うなか、多くのブーイングに次第に歓声が混じっていくさまが、再び時代が大きく動き始める予感を漂わせる。ジマーマンよりもディランが、65年よりも前年のフェスティバルでのライヴが「より良い」わけではない。彼は、つねに周囲からの刺激を受けながらそのつど即興的にただ「別の何か」に変化し続けただけなのだ。
ところで、映画はよく知られた史実を基本的に踏襲しつつも、ディランが考えや行動を変えていった背景、あるいはその裏にある彼の心境にはっきりと焦点を当て、それらを丁寧に説明するような愚かな真似はしない。
代わって、全編を通じて驚くべき頻度で演奏されるディランの歌とその詩だけが、その瞬間ごとの彼の変化をそれとなく示唆し続ける(たとえば核戦争の脅威が煽られたキューバ危機報道に続く「戦争の親玉」、65年フェスティバルでの「マギーの牧場」[I ain’t gonna work on Maggie’s farm no more]、「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」[And it’s all over now, Baby blue])。
ほとんどミュージカル映画かのようにディランの演奏と乗り物での移動が大半を占めるこの映画には、たとえば『ナイト&デイ』(2010)がそうだったように、ほぼリズムが弛緩する瞬間、いわゆるダレ場が存在しない。それゆえ、われわれは比較的長尺であるはずの映画があっという間に終わったかのように錯覚する。車輪や石は回り続け、ギターとディランの声もまた鳴り止むことがない。