エドワード・ヤンとヴィルジニー・ルドワイヤンの出会い
『カップルズ』製作中の楊徳昌は離婚騒動の最中だった。『台北ストーリー』(1985)のヒロイン・阿貞を演じた国民的スター歌手の蔡琴[ツァイ・チン]を愛するようになった楊徳昌は蔡琴に求婚した。その求婚はやや風変わりなもので、それはセックスレスな結婚の申し出だったが、蔡琴はそれを受け入れ、1985年に婚姻関係に入った。ところが18 歳年下のピアニストの彭鎧立と不倫関係に陥った楊徳昌は、『カップルズ』発表前年の1995年に蔡琴と離婚し、ただちに彭鎧立と入籍したが、黙っていなかったのは台湾市民だった。
人々に慕われてきたスターの蔡琴を裏切ったことにより、楊徳昌の世評は地に堕ちた。これがカリフォルニアへの移住を決めた理由のひとつである。楊徳昌と台湾市民の確執は彼の死後も続き、作品の修復、再公開、記念展覧会の開催など、和解の雰囲気が醸成されたのは、ここ数年のことにすぎない。
上述のような騒動の渦中で『カップルズ』が企画され、製作されたことを考慮に入れるならば、この作品を見る目はいくらか変わるだろうか。たまたま筆者はこの時期のある重要な局面に立ち会っていたことを、歴史の証人としてここに記しておかねばならない。
1994年の秋のことである。その年の東京国際映画祭は、794年の平安京遷都からちょうど1200年という記念の年にあたり、この時だけ単年で「東京国際映画祭・遷都1200京都大会」として開催された。当時、フランスの映画雑誌の日本版である「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」の派遣で上洛した筆者は、会場のひとつである祇園会館でのオリヴィエ・アサイヤス監督『冷たい水』(1994)の上映に立ち会った。
オリヴィエ・アサイヤスと主演のヴィルジニー・ルドワイヤンが上映後のQ&Aを終えて宿泊地である京都ホテル(現ホテルオークラ京都)に歩いて戻る際に、『恋愛時代』をコンペ外で出品していた楊徳昌も『冷たい水』を見終わって、一緒に京都ホテルに帰ることになり、ホテルロビーでアサイヤスへのインタビューをおこなう予定だった私たちカイエの派遣者も同行した。四条通の途中で当時17歳のヴィルジニー・ルドワイヤンがソフトクリームを食べたいと言い出し、一行で店に立ち寄ったりした。この道中こそ、いま思えば楊徳昌とヴィルジニー・ルドワイヤンの出会いだったことだろう。今回、『カップルズ』のエンドクレジットでアサイヤスへの「銘謝」が捧げられていることを確認し、若き日のわが追憶が甦った次第だ。