『けものがいる』が描く2044年の世界
前世の汚染
2044年、産業と行政の大部分はAIが代行し、人間の労働力はほぼ用済みとなっている。ガブリエルはもっと自分の知識と実力に見合った職業を求めて、AIの面接を受けるが、「感情を消去する処置を受けなければ、重要な任務を担う資格が与えられない」と忠告され、躊躇する。興味深いのはAIが「前世」という空想的なタームを当然のように使用していることである。前世に潜在意識を汚染されたDNAを浄化しなければならないというのである。ガブリエルは皮肉まじりに抗弁を試みる。「進化した結果が67%の失業率と20%の単純労働ですか?」。AI(グリーンバックの指示者と同様、グザヴィエ・ドランの声)の答えはこうだ。「2025年の悲劇をくり返したいのか?」…どうやら2044年のAIによれば、今年(2025年)、人類史にとって取り返しのつかないトラウマが発生するらしい。ベルトラン・ボネロは言う。
「この映画は、ほぼ近未来ディストピア映画と言っていい。『ほぼ』と付したのは、いまや日増しに世界がディストピアに近づいてきているという印象を受けているからなんだ」
年代仕様
もはや歴史/時間は、単なるインバウンド向けの商材として扱われる。2044年のガブリエルは「感情の消去」に向けたセッションを受ける日々のあいまに、アテンド担当のヒト形ロボットの案内でディスコを訪れる。ビルの外壁には「1972」という看板。会場内では1970年代初頭のロック、ポップスが流れ、70年代ファッションに身を包んだ人々が生き生きと踊っている。映画の後半では「1980」のディスコに行くシーンもあり、そこではヴィサージのシンセポップが流れ、ニューウェイヴ的なモノトーンに身を包んだ人々がクールに踊っている。おあつらえ向きの空間デザイン、ファッション、サウンド、ドリンク。すべてが予定調和だが、だれもが問題なく楽しんでいる。そうしてみると、映画冒頭のベルエポックのパリの舞踏会までが、なにやらプログラミングされた時空間にすぎなかったのではないかと思えてきてしまう。ボネロの言葉を再び。
「この映画における現在(2044年)は、問題がないにもかかわらず(あるいは、問題がないという問題があるからこそ)、ほとんど耐えがたいものとなり、その結果、過去が避難所となるんだ」