「村上春樹の小説からインスピレーションを受けた」中国の今を描く映画『郊外の鳥たち』。チウ・ション監督、独占インタビュー
ジャ・ジャン・クー(『長江哀歌』)、ビー・ガン(『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』)に次ぐ、中国第8 世代の鬼才、チウ・ションの長編監督デビュー作『郊外の鳥たち』が、3月18日より渋谷シアター・イメージフォーラム他にて、全国公開される。地盤沈下が進む中国の郊外の都市を舞台に、同じ名前を持つ青年と少年の日々がスリリングに交錯する、現代映画の最先端。今回は、チウ・ション監督の独占インタビューをお届けする。(取材・文:山田剛志)
【チウ・ション監督プロフィール】
中国・杭州生まれ。清華大学で生物医学工学の学士号を取得した後、香港バプティスト大学で映画の修士号を取得する。映画制作の新し い方法を発見することに意欲を燃やしている。 Winterstare』や『Golfville』などの作品が、 中国インディペンデント映画祭やPremiere Plans d’Angers などで賞を獲得している。台北 金馬電影学院、西寧FIRST 国際映画祭FIRST Training Campに在籍。
【映画『郊外の鳥たち』あらすじ】
ある郊外で地盤沈下が発生し、ハオを含む技術者チームが原因究明のために派遣されることになった。重い機材を担ぎ、誰もいない郊外を何日も歩き回ったハオは、ある小学校で一人の少年と親密そうなグループの別れが綴られた日記を見つける。調査を進めるうちに、ハオはこの日記に自分の人生についての予言が書かれているかもしれないことを知る。
交錯する大人の時間と子供の時間
軸になるのは“機械の目”と“鳥の目”
―――歪んだ視界の中に主人公・ハオが映し出されるファーストカットからグッと引き込まれました。どうしてこのような映像から映画を始めようと思われたのでしょうか?
「ファーストカットでは、地面に記した印を探すために右往左往するハオの姿を、測量機の目線から捉えています。全編を通してハオは、自分のいる場所に馴染むことができず、常に自分探しをしています。
進行する地盤沈下の原因を調べるために郊外の町を訪れ、地面の傾斜や勾配の測量に励むものの、自分自身の居場所は見つからない。ファーストカットは、そうしたハオが置かれている状況を反映しています。
また、測量機の目線は定点観測的であり、ある意味不自由です。その点、今いる場所から逃れることができないハオの状態を象徴的に表してもいます」
―――視覚的な側面に関する質問が続きますが、大人が登場するパートではズームアップとズームバックが随所で見受けられる一方、子供パートではズームを使ったカットは一切見られません。なぜ2つのパートで撮影スタイルを変えたのでしょうか?
「綿密にスタッフと話し合った上で撮り分けをしました。先ほどの話に通じますが、大人パートに関しては測量機の目を意識しました。ズームイン、ズームアウト、パンといった撮影技法は、否が応でも機械の目を意識させます。
それに対して子供パートでは、子供たちを自由に追いかける鳥の目を意識しました。特に、少年たちがサッカーに興じるシーンでは、彼らの奔放な動きを捉える自由な目の動きが感じられると思います」
―――それに加えて伺いたいのですが、大人パートではビデオ調の画質、子供パートではフィルム調の画質と、映像のテクスチャーも異なるように思えました。
「まずはカラーに関してですが、子供パートでは、緑色と青色を多く使っています。それは記憶の中の青春を表現する、活き活きとしたものです。一方、大人パートでは、なるべくカラフルで艶やかな色をそぎ落とし、グレーを基調とした映像にしようと思いました」
―――撮影機材も異なるものを用いたのでしょうか?
「子供パートでは『ブラックマジックポケットカメラ』という、機動性に富み、8ミリフィルムのような質感が出せるカメラを使用しました。そのお陰で”鳥の目線”が上手く表現できたと思います」
―――鏡を使ったカットがとても印象的でした。鏡にはどのような意味を込められたのでしょうか?
「僕にとって鏡というのは、錯覚をもたらし、幻想空間を生み出す装置です。序盤には、鏡に反映する汽車を捉えたショットがあります。この汽車は古いタイプのもので、鏡を介して撮られることで、過去から未来に向かって走っているという印象を作り出しています。
他のシーンでも、どこか神秘的で、観る人に『これは一体何なのだろう』と、幻想的な錯覚を引き起こす装置として鏡を出しました」