崩壊と破滅の狂詩曲。ヴィターリー・カネフスキー トリロジーに寄せて。ソ連崩壊期に生まれた「奇跡の映画」を徹底解説&考察

text by 荻野洋一

ヴィターリー・カネフスキー監督による1993年制作のドキュメンタリー映画『ぼくら、20世紀の子供たち』のデジタルリマスター版完成に伴い、同監督のデビュー作『動くな、死ね、甦れ!』とその続編『ひとりで生きる』を合わせた三部作が一挙に公開される。三部作を通じて見えてくるヴィターリー・カネフスキーの作家性について解説する。(文・荻野洋一)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】
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ソビエト連邦の崩壊期に撮られた「奇跡」の映画

映画『動くな、死ね、甦れ!』
映画『動くな、死ね、甦れ!』

 3本の映画『動くな、死ね、甦れ!』(1989)、『ひとりで生きる』(1991)、『ぼくら、20世紀の子供たち』(1993)は、映画というメディアが引き起こす「奇跡」があまりにも残酷な形であらわれてしまった例である。この残酷を、それでも私たち映画観客は祝福すべきなのだろう。3本の監督であるヴィターリー・カネフスキーの故郷・ソビエト連邦は、1988年にまずエストニアが連邦から脱退したのを皮切りに、次々と連邦を構成した各共和国が独立を宣言し、1991年の暮れにはとうとう連邦解散宣言がなされた。このトリロジーが立て続けに発表された期間はまさに、ソビエト連邦の崩壊期とぴたりと一致する。

 カネフスキーの3部作はよく、『大人は判ってくれない』(1959)から始まるフランスの〈アントワーヌ・ドワネル〉シリーズと比較される。たしかに大きな共通点がある。同シリーズで不良少年アントワーヌ・ドワネルを演じたジャン=ピエール・レオーがフランソワ・トリュフォー監督のオルターエゴを体現したように、『動くな、死ね、甦れ!』と『ひとりで生きる』でパーヴェル・ナザーロフが演じた不良少年ワレルカは、ヴィターリー・カネフスキーの少年期の思い出が色濃く反映されている。カネフスキーは1935年、強制収容所のあった極東・沿海州の炭鉱町スーチャン(清代の地名「蘇城」を音読したもの)に生まれ育った。上記2作のロケーション地でもある。

 生の輝き、青春の痛み、人生の暗さ。時代が異なっても、パリの不良少年とスーチャンの不良少年はたしかに同じ呼吸をしている。『動くな、死ね、甦れ!』は1947年のスーチャンが舞台。第二次世界大戦が終わって間もないため、街には物静かな抑留日本兵が画面をしょっちゅう横切り、私たち日本人にはおなじみの「炭坑節」や「黒田節」といった日本民謡が彼らの口から漏れ聞こえてくる。スターリン政権下の沿海州を、ペレストロイカ=ソ連崩壊期に再現する。『動くな、死ね、甦れ!』と『ひとりで生きる』が体現するのはこの二重性である。

ダブルエクスポージャー(二重露光)の戦略

映画『ひとりで生きる』
映画『ひとりで生きる』

 アントワーヌ・ドワネル少年は、ヌーヴェルヴァーグ台頭期のパリとぴたりと一致した空気を呼吸している。同時代の空気の生々しさこそトリュフォー映画の燃料にほかならない。同質と思えたアントワーヌ・ドワネルとワレルカの呼吸が明らかに異なってくるのはこの点だ。後者はスターリン時代/ペレストロイカ期という2つの時代をダブルエクスポージャー(二重露光)で映し出しているからである。

 あたかも最初の『動くな、死ね、甦れ!』がペレストロイカの混沌を反映し、『ひとりで生きる』が崩壊現象を粗描したかのように。第3作『ぼくら、20世紀の子供たち』では文字どおり、ソビエト連邦崩壊後のストリートチルドレンをドキュメンタリーとしてとらえ、混沌/崩壊の後始末となっている。

『動くな、死ね、甦れ!』は混沌の変奏曲とも言うべき騒がしさ、容赦のなさ、油断大敵さに満ち満ちている。学校トイレの肥溜めにイースト菌をぶちまけた犯人はワレルカである。糞尿がぶくぶくと膨張してあふれ出し、学校の中庭は糞尿でぬかるんでしまい、そのぬかるみを生徒たち、教師たち、愛国者たちが踏みしめ、スターリンに絶対忠誠を誓う行進をやめない。混沌は膨張に次ぐ膨張を引き起こし、線路にいたずらで仕掛けたつっかえ棒によって、貨物列車があっけなく転覆事故を起こしてしまう。これの犯人もワレルカである。

観る者を惹きつける『ひとりで生きる』の希薄化した画面

映画『ひとりで生きる』
映画『ひとりで生きる』

 膨張しきった混沌は『ひとりで生きる』では一転して希薄化し、濃霧のような、視界を遮断する不透明さに変容していく。前作で12歳の子どもだったワレルカ(パーヴェル・ナザーロフ)はすでに15歳の若者になっている。ガールフレンドのガリーヤ(ディナーラ・ドルカーロワ)が画面を去り、代わって彼女の妹ワーリャが登場するが、ワーリャも同じくディナーラ・ドルカーロワが演じているため、存在の残酷なる置換(代替)可能性が現出されてしまったのだ。ワーリャとともに過ごす時間は過酷な青春を送るワレルカにとって癒しの時間であると同時に、禍根と贖罪の時間でもある。

 カネフスキーのトリロジーは、スターリン独裁期/ペレストロイカ=ソ連崩壊期という2時代のダブルエクスポージャーとして画面に生起し、膨張しきった混沌の希薄化と不透明化をへて、長く冷え冷えとした後始末の時代へと突入していく、という構造をなしている。この構造を成立せしめる憑代(よりしろ)として、ガリーヤ/ワーリャ姉妹を同じ少女俳優によって順繰りに登場させ、ダブルエクスポージャー機能を補強している。『ひとりで生きる』の終盤、たまたま立ち寄った波止場のトーチカの室内に、血染めのガリーヤが呆然とした表情で現れる。この奇跡のショットは、カネフスキーが仕掛けた遠大なるダブルエクスポージャー演出の憑代(よりしろ)である。

 筆者は血染めのガリーヤのショットに身ぶるいを禁じ得なかった。『動くな、死ね、甦れ!』が映画史上の傑作であることはすでに知られているが、筆者としては今回の特集上映によって、『ひとりで生きる』がかもす希薄化/不透明化した画面が、『動くな、死ね、甦れ!』に勝るとも劣らぬ充実した映画体験を約束するものとして語られていく契機となることを期待する。

カネフスキー映画における細長い一方通行路

映画『ぼくら、20世紀の子供たち』
映画『ぼくら、20世紀の子供たち』

 第3作『ぼくら、20世紀の子供たち』のラスト――少年刑務所に収容されているパーヴェル・ナザーロフ(前2作でワレルカ役)のもとに、すでに俳優としてキャリアを築き始めたディナーラ・ドルカーロワ(ガリーヤ/ワーリャ姉妹役)が面会に訪れるシーン。犯罪に手を染めた不良少年ワレルカと、それを演じた現実の子役俳優が、とうとうダブルエクスポージャーの一要素としてバインドされてしまった。パーヴェル・ナザーロフはいったい何をしでかして少年刑務所に収容されてしまったのか? そのあたりのことを映画は説明しない。ただ、「釈放後は映画大学に入学して俳優を目指したい」という抱負を相手に説明している。

 ディナーラ・ドルカーロワの方はその後はフランスに拠点を移して、俳優活動を続行していく。ミヒャエル・ハネケ監督『愛、アムール』(2012)、アルノー・デプレシャン監督『あの頃エッフェル塔の下で』(2015)、ユホ・クオスマネン監督『コンパートメントNo.6』(2021/カンヌ国際映画祭グランプリ受賞)などに出演し、2022年には『Grand Marin』という作品で監督デビューも果たした(サン・セバスティアン国際映画祭で公式上映)。

 いっぽうパーヴェル・ナザーロフは結局のところ、面会時に語った抱負とは裏腹に、俳優キャリアを始めることすらできなかった。それでもナザーロフに執着するカネフスキーは、2010年になってイタリアのトリノ国際映画祭のために41分の中編ドキュメンタリーを制作する。最後の拘留を終えて釈放されたばかりのナザーロフに会った映画作家は、30代中盤となったかつての自分のオルターエゴと相対し、途切れることなく語り合う。題して『Da Cannes alle sbarre. Una testimonianza di Pavel Nazarov (カンヌから監獄へ パーヴェル・ナザーロフの証言)』。

 崩壊し、破滅し、沈黙の底に沈んでいた声が、再び響きだす。この、ダブルエクスポージャー狂詩曲(ラプソディー)とも言うべき事態は、どうやら依然として収束しておらず、死んだはずの物語が不意に立ち上がり、死者の書が再び読まれる。トリロジーの第1作『動くな、死ね、甦れ!』というじつに印象的なタイトルは、この1作のみにとどまるものではなかったのである。関係者たちの一生涯をつうじたオブセッション並びに霊的ダブルエクスポージャーとしてあることがわかってくる。

 瓦礫に満ちた路地、すれ違うのもやっとの回廊、緩慢なスピードで走行する長い鉄路、強盗団から逃走する際の桟橋、船で去っていく大事な女性を見送ったあとに辿る細長い砂利の波止場…。カネフスキーが形成する霊的ダブルエクスポージャーは、手癖のようなものとして、必ずと言っていいほど、細長い形状をなしている。私たち観客はその細長い一方通行路を、頼りなげに目で辿りながら、霊的ダブルエクスポージャーの行き着く先がどこにあるのかをまさぐろうとする。ヴィターリー・カネフスキーという人はそのまさぐりにどんな答えを用意してくれているだろうか?

【著者プロフィール:荻野洋一】
映画評論家/番組等の構成演出。早稲田大学政経学部卒。映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」で評論デビュー。「キネマ旬報」「リアルサウンド」「現代ビジネス」「NOBODY」「boid マガジン」「映画芸術」「ele-king books」などの媒体で映画評を寄稿する。2024年、初の単著『ばらばらとなりし花びらの欠片に捧ぐ』(リトルモア刊)を上梓。

【作品情報】
ヴィターリー・カネフスキー トリロジー
 配給:ノーム
8月23日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開
公式サイト

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【了】

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