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閉塞感を浮き彫りにするカメラワークー映像の魅力

ベッキー役のジュリエット・ルイス
ベッキー役のジュリエットルイスGetty Images

撮影を担当したスヴェン・ニクヴィストは、ラッセ・ハルストレムと同郷の偉大な映画作家イングマール・ベルイマン作品で知られる、映画史に残る名カメラマン。本作はキャリア晩年の仕事にあたる。

本作の映像の最大の特徴は、なんといっても舞台となるアメリカの片田舎の景色の美しさだろう。広大な田園風景を銀色のトレーラーが車体を輝かせながら走るシーンや、真っ赤な夕日にギルバートの家がシルエットとして浮かぶシーンは、思わずうっとりしてしまうほど美しい。

とはいえ、本作は、ロケーションの広大さとは裏腹に、映像的な開放感があまり感じられず、むしろ閉塞感ばかりが目立つ。一体なぜだろうか。この謎を解く鍵となるのが、ことあるごとに頻出する食事シーンにある。このシーンでは、エスタブリッシングカット(観客に人物同士の配置を伝えるための俯瞰カット)はあるものの、基本的に会話は話者のバストショット(胸上のアップのショット)が主体となって進行する。

また、給水塔に登ったアーニーをギルバートたちが見守るシーンでも、給水塔を遠くから捉えた俯瞰ショットのほか、ギルバートとアーニーをバストショットで捉えたカットがメインとなって進行する。つまり、本作では、登場人物の断片的なバストショットが主軸になって進展するため、空間全体がいまいち把握しづらくなっている。このカメラワークが、作品になんともいえない閉塞感をもたらしているのだ。

さて、こういったカメラワークが、ベッキーの登場によって一転する。カメラワークは、ギルバートとベッキー双方を一つの絵の中にとらえた絵や、ロングショットで捉えた絵が多くなる。ベッキーの登場によって、物語に開放感がもたらされるのだ。

さて、本作のラスト、ギルバートとアーニーを新天地へと運ぶベッキーのトレーラーは、画面の外ではなく奥からやってくる。この映像的表現は、2人の希望が元々彼らの人生の中に芽生えていたことを指しているのかもしれない。

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