90年代クローネンバーグ作品を想起
美術監督キャロル・スピアによる装置群に注目
こうした経緯を踏まえれば納得いくことだが、本作には、今世紀に入ってからのクローネンバーグ映画よりは、明らかに90年代までの作品群を思わせる印象的な要素が数多く現れる。たとえば、医療や手術とアートを結びつける視点は、すでに『戦慄の絆』(1988)の時点で萌芽的に描かれていた。また、常連組のハワード・ショアによる、パフォーマンス場面で特に存在感を発揮する劇伴は、どこかかつてインダストリアル・テクノと呼ばれたジャンル音楽を思い起こさせるものだ。
ショアの楽曲は、ショーにおいてレア・セドゥがまとうボンデージ的な意匠を取り入れたコスチュームやそのヘアスタイルも相まって、とりわけ『イグジステンス』(1999)や『クラッシュ』(1996)に漂っていた雰囲気を長年のファンたちに想起させるだろう。さらに彼らのショーでは、BODY IS REALITYというキャッチコピーや、臓器切除の模様をオーディエンスに向けて中継する映像が、なぜかブラウン管のテレビに投影されている事実も見逃せない。
近未来という設定をあえて無視するかのようなブラウン管の異様な存在感は、『ヴィデオドローム』(1983)に連なる、身体感覚と密接に結びついたクローネンバーグの特異なテクノロジー観を反映しているように見える。テンサーの体内は、決してフラットなディスプレイなどではなく、たとえ時代設定に齟齬が生じようとも、あくまでも人間の身体と同様の厚みを持った、ブラウン管にこそ映し出されねばならないのだ。
そして、同様の観点から見てなんといっても素晴らしいのが、長年彼とタッグを組んできた美術監督キャロル・スピアが作り上げた数々の装置群である。テンサーとカプリースは、臓器を新たに生み出し切除するために、劇中に登場する企業、ライフフォーム・ウェアが開発したいくつかの製品を使用している。テンサーが日々寝起きする、皮膚や樹木のようなテクスチャーを持ち、天井から吊るされたクネクネと有機的に蠢く触手に支えられた「オーキッド・ベッド」は、柔らかく彼の身体を包み込む。
また、人骨を組み上げたかのようなフォルムが美しい、ポスターにもヴィジュアルが使用されている「ブレックファスター・チェア」は、テンサーの肉体に働きかけ、朝食の摂取を手助けする。さらに、手術ショーで彼が寝そべる、劇中で大昔に製造中止となった旧型モデルに設定された機械「サーク解剖モジュール」もまた、それ自体が生きているかのような動きでショーを盛り上げる。これら装置群のデザインは、いずれも忘れ難い印象を残す。