ホーム » 投稿 » 海外映画 » 劇場公開作品 » 一見コメディだけど何だか不気味…。今こそ観るべき映画『トゥルーマンショー』に隠された意味を徹底解説!

一見コメディだけど何だか不気味…。今こそ観るべき映画『トゥルーマンショー』に隠された意味を徹底解説!

text by 編集部

映画『トゥルーマン・ショー』(1998)は、一見奇妙な内容から公開当時かなり話題となった。しかしその内容が一体私たちに何を伝えたかったものなのか分からないままでいる方も多いはず。今回はそんな映画『トゥルーマン・ショー』が伝えたかった意味を、現地メディアScreen Rantを参考に紐解いていく。

メディアへの痛烈批判
虚構に溢れた世界を描く

映画『トゥルーマン・ショー』ワンシーン
映画トゥルーマンショーワンシーンGetty Images

コメディ俳優として人気のジム・キャリーが、主人公トゥルーマン・バーバンクを演じた本作。映画の作品内容はこうだ。

保険セールスマンをしている主人公トゥルーマン。彼には妻メリルがいる。しかし大学生の頃に、恋に落ちたローレンへ想いを抱き続けており、ローレンが連れ去られたと思われるフィジーにいつか行きたいと願っている。

比較的平凡な人生を送っていると思い込んでいるトゥルーマン。しかし実際は、巨大なテレビ撮影セットの中で人生を生きている。さらにその生活はリアリティ番組として、全てが隠し撮りされ、世界220カ国で生中継されている。彼の周囲にいる人間は皆、単なる役者にすぎない…。

本作には、哲学的、または社会学的なテーマがふんだんに盛り込まれている。そのため、本作を視聴した方は、そのストーリー内容の真意が一体なんなのか、ネットで一度は調べた方が多いはず。

主人公トゥルーマンは、自分を取り巻く世界が、完璧に仕組まれた単なるテレビ番組とは微塵も思っていない。しかし、自分の身の回りに起きる奇妙な矛盾や、ありそうもない偶然に気づき始め、徐々に、自分を取り巻くその虚構の世界に疑念を抱く。答えを見つけようと探求すればする程、偽物の現実の正体の理解が深まる。

映画『トゥルーマン・ショー』では、視聴者は、主人公と共に、彼に降りかかる偽りの出来事を噛み砕きながら、彼の暮らす世界の真実を見出す。この作品の中では、以下のような内容を視聴者に暗示している。

映画冒頭で、主人公の架空の現実が、テレビ番組「トゥルーマン・ショー」のクリエイターのクリストフに統治され、捏造されている世界であることを明らかにする。トゥルーマンの幼少期に経験した、トラウマとなる恐怖体験や、日々の人々との交流、天候さえもコントロールし、全ては番組製作者によって、注意深く作られたもの。いかに人々の娯楽と利益追及のためだけに、別の現実を作り、それを消費者に販売しているかを浮き彫りにしている内容だ。

嘘と欺瞞により構築された架空の世界を通し、主人公トゥルーマンという男の知覚を操作する。彼の周囲に置く物への配慮もし、彼の潜在意識さえもコントロールしている。番組製作を務めるメディア企業は、彼が架空の現実の中で人生を送っていることに気づかせないよう努める。この世界の中では、トゥルーマンは気づいていないだけで、彼の自由意志など存在しないのだ。

このような入念な操作により、”メディア”という存在が、いかに自分自身が本来行うべき、”本当の現実”と、自分の人生には本来必要のない”虚構”の境界線を、曖昧なものにすることが可能なのかを表現している。

メディアで語られる情報は、度々、大衆の知覚に大きな影響を及ぼす。しかしそれがいかに真実とは全く関係のない、嘘で塗り固められている情報であるのか。そして大衆がいかにそのことに気づくことなく、その虚構を受け入れているのかを、浮き彫りにしている作品なのだ。

映画『トゥルーマン・ショー』は、個人の自由への葛藤をどう描いているのだろうか?

本作では、突然、空から巨大な照明器具が落ちてきたり、妻が非常に不自然な形で、商品の宣伝を会話中に喋り始めたり、妻の働く病院では、素人同然の医師たちによる手術が行われていたり、亡くなったはずである自身の父親が急に目の前に現れ始めたりと、主人公トゥルーマンを取り巻く虚構世界に、亀裂が入り始める。そしてトゥルーマンは、徐々にその世界が虚構であることに気づく。

全てが支配下に置かれた現実で、トゥルーマンは、自由意志を求める旅に出る。しかし直ぐに、いくつもの障害に阻まれていることに気が付く。彼が町を出ようとすると、番組の制作者たちは、彼が番組の巨大セットから出ないように仕掛けるのだ。

現代を生きる人間がそうであるように、トゥルーマンもまた、台本のように初めから定められた道から外れて超越したいという生来の願望を持っている。しかし、現実の人間が、国の文化や社会などの外的要因が個人の自主性を妨げられるのと同様のことが、トゥルーマンにも起こっている。

トゥルーマンもまた、架空の現実がいかに自分を自由から遠ざけているかを知りながらも、ローレンを探しにフィジーには行かず、架空の現実への執着感を克服しようと苦闘する。

彼は、幼い頃に、父親とボートで海に出た際に嵐にあい、ボートから投げ出された父親が亡くなったという、番組の制作者たちが作り上げた過去がある。つまり番組制作者が植え付けた偽りの恐怖や、不安、トラウマを感じている。

この内容は、まるで、古代ギリシアの哲学者プラトンの洞窟比喩のような内容となっている。この寓話の内容は、ある集団が壁に鎖で繋がれ、外の世界を見ることができず、洞窟の奥を見る。彼らに見えるのは、洞窟の壁で、そこに映し出される影が現実であると錯覚する。外界からの影が、洞窟の中の人々の知覚を操作し制限するように、『トゥルーマン・ショー』の脚本家たちが作り出す内容が、トゥルーマンの思考と行動を支配する。

また、主人公トゥルーマンを取り巻く俳優たちは、このショーの内容が人為的に作られたものということを理解している。しかし、彼らもまた、その作り上げられている架空の現実の世界を中心として生きる存在なのだ。

ショーの本質を認知していることで、トゥルーマンは囚われているが、自分たちは自由な存在であると信じているのかもしれない。しかし彼らもまた、台本に書かれた内容に従う、行動を操られる存在であることには変わりない。

プラトンの寓話では、洞窟にいた一人が、外に出て、ありのままの世界を見る。彼は洞窟に戻り、仲間に、一緒に洞窟を出るように説得するのだが、彼らは壁に映し出された投影を見慣れすぎており、それを直接体験するのを避けるため、彼に従うことを拒否する。

架空の現実の亀裂に気づき始めたトゥルーマンもまた、プラトンの寓話で、洞窟を出た者と同じような道を歩もうとする。しかし、洞窟の人々が影を見ることに安住し、外の世界の現実を体験することを恐れるのと同様に、トゥルーマンの周りの俳優たちも、番組の人気から、自分たちが行っている行為が道徳的、倫理的に間違っているとは考えない。つまり彼らもまた、主人公トゥルーマンと同様に、自分たちの上にいる、マスコミの操り人形に過ぎないという事実を疎かにしているのだ。

1 2
error: Content is protected !!